反「アンチエイジング」宣言

いつの頃からか、わたしも髪に白いものが混じるようになりました。年を取りました。そのうちに周囲の友人知人からいつまでもお若いですね、なんて言葉をかけられないとも限らない。もう、そういう年齢になりました。人生の折り返し地点を過ぎて久しいです。

最近、巷間には、いわゆる“アンチエイジング”という思想的潮流があります。「いつまでも若々しいですね」という言葉は今や褒め言葉になっています。けれども翻って考えると、こんなに馬鹿馬鹿しいことはない。それでは齢をとった甲斐がないではありませんか。

年齢にふさわしい信仰、思想、哲学等が、そのひとの内になければ何のために齢を重ねたのか、ということになるのではありますまいか。今までどういう生き方をしてきたのか、という後悔をすることにもなりかねない。

吾人は中年なら中年らしい、青年には持つことができないような立派な人生観を持ったうえで一日一日を過ごすべきであります。思うに、なんでもそうですが日々是精進であります。そういう真剣な気持ちで生きてゆきたい、とわたしは常々考えています。ところが、キリスト者も含めて現代に生きる人々の軽薄さ、偽りの陽気さ、明るさ、その騒々しさは一体どうしたことでしょう。「汝等しずまりて我の神たるをしれ」(聖書)!

人生の先輩を狙った俺おれ詐欺という犯罪がありますが世の人々は皆、生き方において、いわゆる「俺おれ主義」なのではないでしょうか。これは老若男女を問いません。昨今では権利意識が高まり、自分の権利ばかり声高に主張している輩が確実に増えてきていますね。

例えば、横断歩道を渡るときにクルマが待っているのに一瞥もせずに、ゆうゆうと歩いて横断している歩行者をよく見かけます。美しくないですね。小走りに横断している子供たちの方に覚えず好感を抱くのはひとりわたしだけではないのではありますまいか。わたしは、そういう人たちの生き方を「俺おれ主義」と名付けています。

わたしもいい齢になりました。アンチエイジングではなく、年齢にふさわしく自分の言動をシフトしてゆくことが肝要なのだと思います。自分自身のこれからの生き方が「俺おれ主義」的な世の人々とは対照的で世俗の人々の生き方に対する強烈なアンチテーゼになっているといいなあ、と考えているところです。

自分の生き方をとおして周りの人々に警鐘を鳴らし続けてゆきければ嬉しいですね。自分の年齢にふさわしい、そんな年の重ね方こそ素敵だと思いませんか。そういうしだいで、わたしは云うなればアンチ“アンチエイジング”派です。

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生老病死

 全くもって賛同します 

 「俺おれ主義」~ 僕はさらにひとを見下す感じを出す「俺様主義」としておきます 自分の権利にあぐらをかき、ふんぞり返ることなく、お互いが譲り合い、相手を思いやることのできる世にと願います

 アンチエイジング論~昨夜テレビである女性が出てきて「さてこの方はおいくつでしょう」と問うシーンがありました 街の声は40、35、38などなど そうしたらなんとその方、実年齢73歳!
 思わず僕も「ええ~」と声をあげていました
 
 世の女子高生が言うには20歳を超えたらもうおばさんなのだとか それだけ年齢を重ねることにマイナスのイメージがあるのかもしれません
 そして実年齢よりどれだけ若く見られるかがたいせつ

 面白いことに逆もありますね 彗星のごとく現れた天才棋士、藤井聡太君、また山口百恵の再来とも言われている欅坂のセンターの子などはその話しぶりやたたずまいから実年齢より大人だと評されています
 
 そうなるとやはり実際よりもイメージ、特に人からどう見られるかということをみんな気にしているのでしょうね

 老いることへの恐怖、不安から少しでも若く見られたいという気持ちはわかります それならいっそ中身も若くあってほしいと僕は思います 変に物分かりがよくなり、諦めるのではなく、いくつになっても青臭い理想論を語ってほしいです
 理想は決して若者だけの特権ではなく、現実を見据え、世の中を少しでもいい方向へと考えるひとのものだと思うからです

 最後に、究極を言えば、「自然体」でしょうか その人しか持っていないものが出れば、年齢、性別等々は関係なくなるのかもと思っています
 
 ヨシキ君はすでに自然体です 社会に警鐘をと言っているのも自然体です そうしたらもうその人が何歳であるかは関係なくなるような気がします
 
 
 
 

夢のまた夢

ご返事が、たいへん遅くなり誠に申し訳ありません。貴重で真摯なコメントを頂き、ありがとうございます。「俺様主義」ですか。なるほど、言い得て妙ですね。さすがハタボーさんですね。ハタボーさんらしい秀逸なネーミングだと思います。

アンチエイジングという現代の思想的潮流の背後には合理主義の思想があると思います。二に二を足せば子供にとっても四ですし大人にとっても四です。答えに変わりはありません。

老若男女を問わず誰にも納得のゆく答えが出ます。そう、合理主義思想に年齢は関係ないのであります。もっと申しますと合理主義思想は年齢というものを軽蔑するのです。

しかしながら、思想というものは、もともと年齢と関係があります。年をとらなければ分からないということが人生には無数にあります。それは吾人のこれまでの経験に照らしても納得できます。

たとえば『論語』には「四十にして惑わず」と記されています。二十代や三十代では惑わずとは言えないのであります。常識で考えても十分、理解することができますね。

風貌だってそうです。四十代の顔とか姿というものに何とも言えない深い人生の実相が刻まれているのであるならば吾人はそれを忌避すべきではなく、むしろ歓迎すべきではないでしょうか。

「いつまでもお若いですね」などと言われて、へらへらと、やにさがっていてはいけないのであります。お世辞を言っている相手は「お若いですね」と言いつつ心のなかで「精神的にはね」と但し書きを付けて、こっそり舌を出していないとも限りません。

吾人は赤ん坊として出生して老人になり遂には死を迎えます。むろん、まだ若いうちに彼岸に旅立ってゆく人もいます。乳がんで逝ったあの著名人のように。

それはともかくとして、わたしはアンチエイジングという昨今、流行している考え方にどうしても馴染めないのであります。

わたしがアンチエイジングという当世風の思想をなぜ歓迎できないかと申しますと、これまでに述べてきたことに加えて、こういうことがあると思います。それは、すなわち、死というものを真面目に考えない何か不健全な姿勢を感じるからです。

我々はいつまでも生きていられるわけではありません。よく生きて七十、八十でしょう。百年も生きれば、いわゆる大往生であります。

吾人の生涯は、もう間もなく終わります。換言すれば、我々の人生は明日、終わるかも知れない儚いものであります。太閤秀吉も「難波のことも夢のまた夢」と言って死んでゆきました。したがって、死について十分に考えて備えておくということが、どうしても必要です。

死についてしっかり考え抜くことが大事であります。借り物の思想ではなく自分なりの死生観を早いうちから確立しておくことの重要さを自戒の念を込めて最後に記したうえで擱筆します。
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プロフィール

ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在、名古屋市で暮らす。
家庭教師は週末に副業として続けている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプを嫌う。
趣味はブログ執筆、読書、音楽鑑賞、六弦ベース演奏、バイク・ツーリング等々。
ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の非道いデフレを憂いつつも名古屋市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実はプロテスタント教会の牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。
読者からのコメントが大好物。

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