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描写

僕の書く記事には、いはゆる描写が全く足りないといふことが明確に判りました。『「本当の学力」は作文で劇的に伸びる』(芦永奈雄著・大和出版刊)といふ本を読んで気付かされたのです。同書は古本屋にあり百五円で売られてゐたので安いと思つて買ひました。タイトルを一見すると何だか怪しげな本のやうに思はれるのですが、なかなか面白い本です。

話を描写に戻します。一口に描写と云つても描写とは何か分からない読者もをられるかもしれませんね。あるいは描写をご存知の読者でもその効果を知らない方もをられるかもしれません。説明しませう。

例へば読者諸賢は「とても悲しかつた」と書かれた言葉を読んで、この言葉が胸に迫つてきますか。抽象的過ぎて全然、書き手の悲しい気持ちが伝はつてきませんね。これを描写を使つて書き換へませうか。以下に同書から一部、引用します。

《涙がとまらなかった。拳を握りしめ、歯を食いしばり、壁に何度も何度も頭をぶつけて泣いた。》

ここで注目するべきは「悲しみ」をあらはすのに「悲しい」といふ言葉を一語も使つてゐないといふことです。けれども、それにもかかはらず読み手にとつては描写を使つて書いた後者の文章のほうが「悲しい」気持ちがよく伝はつてきたのではないでせうか。このやうに使ひ方を誤らなければ描写は実に雄弁に書き手の気持ちを表現することができます。

かういふ描写の効果は僕も薄々気づいてゐましたが僕の場合よほど意識しないと、どうしても描写が足りなくなつてしまふのです。兄ブログの最新記事である“伊良湖日帰りツーリング前編”から、からうじて描写してゐる部分を抜き出しませうか。すなはち、かうです。

《空を見上げると目に染みるようなプルシアンブルーのぐるりに白い入道雲が散在する。遠くで喧しく鳴いている蝉の声が夏が大好きな私の耳朶に心地よく触れてくる。》

夏のよく晴れた空の視覚的なイメージが一応、伝はつたのではないでせうか。しかし、僕はふつう、このやうな描写はあまり使はないので僕の記事では例外的な表現になります。年が明けてからは、もつともつと描写を増やしてゆきたいと思ひます。

読者諸賢の本年のご愛読、誠にありがたうございました。新年も“ヨシ樹の雑記帖”ならびに“「論」ブログヨシ樹”をよろしくお願ひいたします。それでは良いお年を!新年にまたお会ひいたしませう。


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カーナビ

過日、仕事で某市内の会社を訪問しなければなりませんでした。その際に社用車に付属してゐるカーナビを使ふ機会がありました。今までカーナビを使ふ機会など公私共に全くなかつたので不安な気持ちのまま社用車を運転して訪問先の会社に向かひました。初めのうちはカーナビをどう使ふか勝手が分からず往生しました。隣に座つてゐた先輩が親切に色々とアドヴァイスしてくれたので、いちいち訊ねては操作し、操作しては訊ねてゐたら何とか使へるやうになりました。

「こりや便利だ」。ハンドルを握りながら僕は思はず独りごちてゐたかもしれません。カーナビを初めて使用してみて、その使ひ勝手のよさに驚きました。ご承知のやうにカーナビは原則として音声案内にしたがつて道を走つてゐれば目的地に自動的に到着できる、きはめて利便性の高いツールです。これは一回使へば病み付きになるのもよく分かります。

何を習得するのでも最初のハードルが一番、高く見えて厄介に感じるものです。越へなければならない心理的な障碍を越へると後は独自の努力で何とかなるものです。独学でも相当のレヴェルまで行けます。僕の場合、それはヤフオクでの出品の経験から明らかです。僕は某日にカーナビを使つたことでカーナビといふものが、どういふものか、はつきり判りました。最初の障碍をクリアしたのです。

思ふに仕事をしてゐて嬉しいのは、かういふスキルが否が応でも身に付くといふことですね。今回、仕事をとほしてカーナビの操作が理解できましたが実は過去にも似たやうな経験をしてゐるのです。僕はパソコンの操作も仕事をとほして、それなりにマスターしました。株式会社といふ法人格を持つた進学塾に勤めてゐた時の話です。

読者のなかには今さらカーナビの操作云々について記してゐるこの記事を読んで滑稽に思ふ方もをられるかもしれません。もしかしたら読みながら失笑を禁じ得ないかもしれぬ。構ひませぬ。笑はば笑へ。僕の心は感動でいつぱいなのであります。さうして感動してゐる時には世界はなくなるのであります。思ふに来年も様々なことに挑戦する年でありたいです。


怠惰な精神

書き手が話の種を仕入れることをアウトソーシング(外注)するといふ怠惰で無責任な姿勢を僕は決して認めたくありません。ブログネタで記事を書くことについて述べてゐるのであります。そんなことは今までしたことがないし、これからもすることは決してないでせう。僕は機会があれば、さういふ不見識なブロガーにブログネタで書いた記事について責任を取れるのですか、と憫笑してお尋ねしてみたい。思ふに、そんな覚悟など塵ほどもないのです。

他人から与へられたテーマで書いて何が、そんなに面白いのでせうか。そこには自分といふものがない。いはゆるオリジナリティーといふものの著しい欠如が見られると思ふのです。思ふに一種の奴隷根性と云つても言ひ過ぎではありません。したがつて、さういふ人物の書く記事は発想がきはめて陳腐かつ凡庸で使はれる言葉は、いちいち紋切型で詰まらないのです。

僕はある学習塾の採用面接で「良い作文を書くにはどうしたらいいか」と問はれて言葉に詰まつた覚えがあります。模範解答は「綿密な取材をすること」です。魅力的な文章を書くには丁寧な取材が必要になるのです。いはゆる仕入れをしつかりとやらなければ、それなりの文章は書けないのであります。良いものを仕入れるには相応の目利きが必要になります。それなりに目利きができるやうになるまでには短くない時日が、どうしても必要になります。さういふ困難を省いて近道をしようなんて魂胆では駄目なのです。

さういふ姿勢では永遠に読者の胸を打つ文章は書けないでせうね。そもそもブログネタに寄りかからなければ書くことが見付からないやうでは書き手として見込みがないし、そんな時には無理をして記事を書くべきではないと思ひます。繰り返し申しますがネタは自分で見付けるものです。そしてネタの選び方は書き手の個性が最もあらはれる部分のひとつでもあります。書き手が苦労して独自のルートで仕入れたネタこそ読者は深く興味をそそられ強く読みたいと思ふものなのです。要するにブログネタでは読み手の心に訴求しないといふことですね。

ブログネタを使ふ書き手は怠惰な精神の持ち主として軽蔑こそされ尊敬されることは絶対にありません。けれども、さういふ横着な書き手にかぎつて今まで書き溜めた記事をまとめて本にしたいなどと途方もないことを何の屈託もなく平気で云ふのです。そんな本を誰が読みたがるのかといふ想像力が全く働いてゐないのですね。かういふ人物を称して「自己を客観視できてゐない人」とか「鈍い人」と云ふのです。


法曹志望の島田様

ヤフオクを始めてすでに一年以上経過しましたが先般、ヤフオクで初めて落札者都合による落札者削除といふ作業を行ひました。栃木県に住むといふ大学1年生の女の子が一旦、僕が出品してゐた商品を落札したにもかかはらず取り引きをなかつたことにしてほしいと申し出たのが事の発端です。この申し出に対して僕は以下のやうに返答しました。

《まず結論から先に述べますね。結論は****円のお支払いに応じてください、ということになります。島田様のご事情は十分、理解できますし斟酌してさしあげたい気持ちはあります。けれども、当方の側に落ち度が何もないのにもかかわらず商取引を当方の予測できない事情により中止することが許されていい道理がありません。

入札するというのは法的な責任を伴います。どのようなご事情であれ契約が成立したら損をしてでも契約を履行させなければならないのです。その点に同意されたからこそ島田様は当該商品をご落札できたのです。いやしくも法曹を志した人なら、そのくらいの見識は持っていてほしいものです。当方としてもこのような文章を綴るのは本意ではありませんし、嫌な気分になります。

今回のことを教訓として生かせばいいのではないでしょうか。高い授業料となりますが、とおすべき筋はとおしていただきたいと存じます。それに憲法の教材を手許においておけば将来、役に立つかもしれません。この間まで高校生であった大学1年生の女の子に対して厳しいことを言うようですが、ご諒解していただければ、と思います。納得できなければ再度、メール文を送信してください。》

以上の僕の返答に対して、くだんの女子大生は商品は送付しなくてもいい、したがつて、送料は、かからない筈だ、さらに、いはゆる授業料をもう少し勉強できないかといふ趣旨の強気の返答をしてきました。僕は、これだけ云つても我儘な抗弁を辞さない法曹志望の女の子の常識のなさと図々しさに驚き呆れました。そこで、これ以上、何を云つても無駄だと諦めて次のやうに返答しました。

《メール文、拝見いたしました。至極残念な気持ちでいっぱいです。島田様にもご事情があるとは存じますが当方の側にも事情があるのです。落札されたお品物にお支払いいただくお金をあてにしているのです。その点に少しでも配慮し、思いを致してほしかったです。

今回のお取り引きですが「無し」で結構です。お金は一円も支払わなくて結構です。ただ、落札者様都合による落札者様(今回の場合は島田様)の削除になりますが、その点は、ご容赦ください。》

僕は、くだんの大学生に将来、法曹になることを志望してゐるにもかかはらず契約を誠実に履行しようといふ態度が微塵も見て取れないのを怪しみました。彼女は、いつたい、どういふつもりで法曹にならうと思つてゐるのでせうか。弱者救済のためでないことは、これはもう疑ふ余地はないでせう。何か邪まな動機から志望してゐるのに違ひないと僕は思ひ、実に残念な気持ちで、この落札者削除の作業を粛々と行ひました。非常に後味が悪い思ひを禁じ得ませんでした。僕は、かういふ人物に人と人との間に生じる紛争を解決することを仕事とする法律家に決して、なつてほしくありません。


漫画で名著を読む

蟹工船

先般、関西に住む一番下の弟から僕の住所に宛てて色々な物と一緒に本も送られてきました。その本のなかに文庫本三冊がありました。三冊の文庫本の内訳は次のとほりです。マルティン・ルターの『キリスト者の自由・聖書の序言』(岩波文庫)、寺田寅彦の『柿の種』(岩波文庫)、小林多喜二の『蟹工船』(イースト・プレス)がそれです。

僕は特に多喜二の『蟹工船』に目が留まりました。そして興味深く読むことができました。読者諸賢も小林多喜二の名前くらゐはご存知でせう。そして、その著書『蟹工船』も中学のときに社会科の授業をとほして知つてをられるでせう。それでは訊きますが「蟹工船」とは何をする船かご存知でせうか。殆んどの読者は知らないでせう。小林多喜二の名前もその著書の名前も知つてゐるのに、その本を実際に読んでゐる人はごく僅かです。かういふことは本当に悪いことだと思ひます。

少し、ご紹介しますと、まづ、第一次世界大戦の当時、サケ、マス、蟹などの缶詰類が保存食として戦地で必要とされ、需要が著しく増加したといふ時代的な背景があります。そこで北洋でタラバ蟹を大量に水揚げしてゐたのですが陸にある工場に運ぶまでに、どうしても鮮度が落ちてしまふ。それならば船のなかに加工場を作つて水揚げした蟹をそのまま缶詰にしやうと発想した船こそ「蟹工船」だつたのです。この蟹工船が物語の舞台となるのです。

詳しい内容は読者諸賢が原書にあたつて読めばよろしい。原書といつても何も難しい外国語で書かれてゐるわけではありません。岩波文庫に収録されてゐて、アマゾンで中古品が1円で売られてゐます。その気になれば誰でも読むことができる本です。さうは云ひつつ僕はイースト・プレスの漫画版で読みましたけれど…。

僕は小学生の頃にもシェイクスピアを漫画ではありませんがダイジェスト版で読んでゐます。シェイクスピアの有名な作品は僕の知る限り皆、戯曲ですから読書に親しんでゐない人間には、とても読み辛ひです。けれども、ダイジェスト版は文章の体裁が小説のやうなので非常に読み易くて面白かつたことを思ひ出します。たまには漫画やダイジェスト版で名著を読むといふことも許されてしかるべきなのではないでせうか。あくまで、たまには、といふ但し書きは付きますが。


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プロフィール

ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在に至る。
現在、未曾有の大不況下で苦しい転職活動を余儀なくされている。
経済状況は極度の貧乏。某市内の賃貸マンションを棲家としている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプが大嫌い。
趣味はブログ執筆、読書、六弦ベース、オートバイ等々。ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の酷いデフレを憂いつつも某市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実は牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。

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