味のある文章

先般、親父と話してゐたら「お前の言葉には味がない」と云はれてしまひました。親父が云ふには僕の話は、よく消化されてをらず自分の血肉となつてゐないので、とても食べられたものではないと云ふのです。云つてみれば料理する前の具材を食卓に並べてさあ、食へと促してゐるやうな塩梅なのださうです。さらに親父は「お前の書いた文章に感動したことはない」とまで云ひました。

では、どうすればいいと云ふのでせうか。味のある文章を書くためには一体、何が必要なのでせうか。思ふに、その点については他人に意見を求めても駄目です。黙つて自分で考へねばなりません。そもそも味のある文章の書き方などマニュアル化できるものではありません。たしかに、さういふ類の本もあるにはあります。しかし、さういふマニュアル本の殆んどは物の役には立たない。味のある言葉を紡ぎ出さうと思ふなら自分で辛い思ひをしながら体得する他ないのです。この点について読者諸賢に再度、問題提起したいと思ひます。味のある文章を書くのに必要なものとは何か。

それは書き手が自分の内面を深化させることではないでせうか。すなはち、実際の経験や読書することにより得た思想をゆつくりと醸成するやうに待つことではないか、独り静かに内省することに時間をもつと多く費やことではないか、さらに云へばキリスト者として神との対話である祈祷を十分にすることではないだらうか。さういふふうに僕は自問自答します。このパラグラフ(段落)の論を結ぶとしたら、もつと人生と真摯に対峙することだと云へるのではないかと思ひます。

味のある言葉で話したり書いたりできるのは年齢と密接な関係があると思ひます。多く人生経験を重ねて来た人の言葉には、やはり味はひがある。もちろん、若くして味はひ深い言葉を書いたり話したりできる人もゐます。しかし、さういふ人はほんの一握りではあるまいか。

いはゆる時代精神に迎合して、どうでもいい流行について書き散らかす文章が多いですね。さうは思ひませんか。グルメだとか旅行だとか、そんな精神的でないことに汲々としてゐる。 ―物質的な話題も時にはいいでせうが、そればかりだと、さすがに閉口してしまひます― いい大人だといふのに非常に稚拙な文章を書いて平然としてゐる人もゐる。しかも残念なことに年老いたキリスト者の中にさへそんな不見識の人物がゐる。では、さういふ自分はどうか。さう批判しながらも内容のある記事を書けてゐると胸を張つて云へるか、といふと甚だ自信はありませんが。

年齢的に人生の折り返し地点にまで辿り着いてゐるにもかかはらず、かやうな情けない告白をしなければならないのは誠に遺憾であります。しかし、こればつかりは一朝一夕にできるものではありません。多くの時日が必要になるでせう。僕の文章には僕のこれまで歩んできた生涯の目方がかかつてゐるのです。言葉を換へて云へば僕の文章は僕自身のこれまでの歴史そのものなのであります。思ふに「文は人なり」と云ふゆゑんです。

読者諸賢に美味しい料理(味のある文章のこと)を提供するためにも深い人間性の陶冶に努めます。かうして僕の文章修業は終はることはないのであります。

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誤解されても馬鹿にされても…

仁斎の弟子のひとりに、いはゆる狂と云はれた百姓がをりました。仁斎とは勿論、江戸時代の儒学者、伊藤仁斎その人のことであります。その百姓は大変、辺鄙なところの出身で、その当時のこととて徒歩(かち)で京都を目指したさうです。仁斎は時の都で私塾を開いてをりました。百姓は豆の袋を背負つて豆ばかり食べて京都に辿り着いたさうです。その百姓は貧しかつたのですが向学心に燃えてゐたのであります。したがつて食べる物は豆で十分だつたのです。

仁斎の講義はご馳走を食べ、お酒を飲みながら進められました。しかつめらしい現代の学校のやうではありませんでした。今の学校と異なつてゐたのは、そればかりではありません。彼の講義には大変、魅力があつたのであります。仁斎はその頃の幕府の学問に大反対してをりました。いはゆる出世のための官学に異議を唱へて自分で私塾を主催してをりました。彼の学問は大変面白かつたので、あらゆる階級の人々が一堂に会して講義に耳を傾けました。そして月謝を支払つたのであります。仁斎は、ひたすら門人の月謝で生計を立ててゐました。

仁斎の講義を聴くと何だか物が解つて来るのですね。したがつて、塾生は喜んで月謝を支払ひました。彼は人はどう生きるべきかを教へました。彼が語つてゐることを聴いてゐると、どう生きるべきか段々解つて来るのですね。人間にとつて、こんなに嬉しいことはないぢやありませんか。現代日本に林立する有象無象の成績向上を至上命令とする進学塾とは大変な違ひであります。

学問をするといふのは各人の職業に役に立つといふことに等しいのです。仁斎の考へ方からすれば学問をすれば百姓の仕事がはかどる、といふのが本来の学問のあるべき姿です。仁斎は学問をしても百姓の仕事には何の足しにもならない出世のための学問を憎みました。それゆゑ、その当時のアカデミーに敢然と反旗を翻したのですね。

冒頭の百姓は故郷に戻り仁斎の講義を筆記してきた帳面を何度も読へ返しました。さうすると今までの農業指導書に間違つた多くの箇所があることにしだいに気づくやうになりました。彼は誰も聴いてくれる人がゐないので「間違つた」とひとりで呟き手を打つた。その百姓は「間違つた」と云つては手を打つてばかりゐたので周りの連中は彼を気違ひと見做して、ああいふ半気違ひの傍には寄るなといふことになりました。

更にその狂人の住む村の村長が死ぬ時に「学問をすると、ああいふことになるから、この村では学問をすることは罷りならん」と遺言を残して死んでいつたといふ逸話があるくらゐです。その内に十年経ちました。さうすると段々、その気違ひが偉いといふことが村人の誰の目にも明瞭になりました。さうして、その地で聖人として生涯を終へました。仁斎はそれを悼んで惜しい人を亡くしたとして記録に残してゐます。『仁斎日札』によりますと仁斎には、さういふ狂と云はれながらも各人の土地で聖人として立派に生きたお弟子さんが三人ゐたさうであります。

思ふに誤解されても馬鹿にされても自分の信念を曲げずに人生を歩んで以て内村鑑三の云ふ「後世への最大遺物」とするべきであります。これはなかなかに大変で困難な大事業であります。くだんの百姓は気違ひと誤解されて疎んじられ嫌はれた。人間にとつて、こんな目に遭ふほど辛いことはありません。現代人は人から嫌はれるのを極度に恐れてゐますね。仲間から外されるのが怖くて周囲の同調圧力に屈するのです。それではいけないんだと仁斎のお弟子さんは、その生き方をとほして僕らに呼び掛けてゐるのであります。僕らは今こそ、その声なき声に謙虚に耳を傾けるべきではないでせうか。                             


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プロフィール

ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在に至る。
現在、未曾有の大不況下で苦しい転職活動を余儀なくされている。
経済状況は極度の貧乏。某市内の賃貸マンションを棲家としている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプが大嫌い。
趣味はブログ執筆、読書、六弦ベース、オートバイ等々。ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の酷いデフレを憂いつつも某市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実は牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。

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