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ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在、名古屋市で暮らす。
家庭教師は週末に副業として続けている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプを嫌う。
趣味はブログ執筆、読書、音楽鑑賞、六弦ベース演奏、バイク・ツーリング等々。
ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の非道いデフレを憂いつつも名古屋市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実はプロテスタント教会の牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。
読者からのコメントが大好物。

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ヨシ樹の雑記帖

日々の出来事を中心に自分の思いを簡潔かつ正直に綴ります。兄弟ブログ“「論」ブログヨシ樹”もよろしく!
2012年02月の記事

内村鑑三の詩

  春は来りつつある
雪は降りつつある
 しかし春は来りつつある
寒さは強くある
 しかし春は来りつつある
  春は来りつつある
  春は来りつつある
 雪の降るにもかかわらず
 寒さの強きにもかかわらず
  春は来りつつある

慰めよ、苦しめる友よ
なんじの患難(なやみ)多きにもかかわらず
なんじの苦痛(いたみ)強きにもかかわらず
 春はなんじにもまた来りつつある


内村鑑三著『歓喜と希望』収録。ただし本記事は『一日一生』(教文館)より引用した。
※改行は原文どおり。


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参考意見【飲酒議論】

現在、当ブログの兄ブログたる“「論」ブログヨシ樹”でキリスト者の読者であるaniさんと飲酒の是非について侃侃諤諤の議論をしてゐます。以下の今回の記事はaniさんの最新のコメントに対するご返事のラフ・スケッチになるかも知れません。けれども記してゆく内にaniさんのコメントに対するご返事として何処か的外れな感がして来ましたので、あくまで参考意見としてaniさんに読んでいただきたいと思ひ、削除せずに当ブログに残します。当ブログの読者諸賢と飲酒問題について分かち合ひたいといふのも当ブログにアップした理由の一つです。aniさん、もう少し時間を下さい。きちんとしたご返事を必ず“「論」ブログヨシ樹”に記載いたします。今回は中間報告もどきの意見として斜め読みして下さつて結構です。

僕は飲酒問題について肯定するのは何処かおかしいと直覚したのです。そして、最初に直覚した信念にしたがつて、この直覚を分析するべくパソコンのキイを打つて来たのです。換言すれば聖書の本意は飲酒を否定してゐると直覚したのですね。それを分析しつつ論を展開してゆきました。記してゆく内にaniさんが指摘されたやうな一見、矛盾したことも述べました。その点は誤解させてしまつたことをよくよく反省しなくてはなりません。

出し抜けに「直覚」と「分析」と云はれてもピンとこないかも知れませんね。この概念は今回の議論の最大の眼目になるので少々説明をさせて下さい。最初に例を挙げますね。プロ棋士は対局の際、どういふ思考のメカニズムで手を打つてゐると思ひますか。次の手を打つ時にプロ棋士は手を考へてゐるわけではありません。プロ棋士は直覚するのです。三つなら三つ、打つ手を最初に直覚するのですね。そして、その三つの手の内のこれが戦略的に正しいぞ、とあたりをつけてその手を分析するのです。そして何時間も考へて最初に直覚した手を打つてゐるのです。

念のため、もう一つ例を挙げませう。よく女の直感といひますね。この「直感」といふ言葉と「直覚」といふ言葉はよく似てゐます。したがつて、「直覚」といふ言葉に馴染めないなら「直感」といふ言葉に置き換へてもいいかも知れません。女は直覚するのです。そして旦那さんの背広のポケットを探るのです。さうすると果たして、いかがわしい店のマッチが出て来るのです。

時間が過去から現在を経て未来に流れるやうに「直覚」して「分析」するといふ流れがあるのです。分析が先にあるわけではありません。これは物事を解釈する場合の鉄則ですね。この鉄則は法律を勉強するとよく理解できます。aniさんも含めた読者諸賢は驚かれるかも知れませんが裁判をする時に法曹三者は、まづ常識を働かせます。そして、その常識に沿つて法解釈をします。つまり法律が先にあるわけではなく常識が先にあるのです。

以上が「直覚」と「分析」といふ考へ方の説明です。ここで、やうやく本題に入りますが聖書を読む時も正しい解釈を必要とします。この点にaniさんの異論はないと思ひます。といふのも飲酒問題といふ論点について同じ信仰者でもこれだけ意見が分かれてゐるからです。話を戻しますが聖書に書いてあるこの文章は本当はどういふことが云ひたいのだろう、その趣旨は何だらう、と忖度することが肝腎なのではないでせうか。その際には聖書全体を貫くコンテクスト(文脈)から解釈しなければなりません。そして自分の直覚したところにしたがつて当該文章の分析をするべきなのです。

僕は最初に飲酒の是非について、ありありと明瞭に非であると直覚したのです。そして、多くのキリスト者が飲酒問題について僕と同じ考へ方をしてゐることも知りましたし知つてゐました。aniさんの指摘されたやうに先達の知恵やオルソン夫人のみならず飲酒を否定する根拠はまだまだ多くありますよ。

すでに例示した飲酒運転なども大きな論拠になるでせう。酒に酔つぱらつた大型トラックの運転手が無辜の家族を殺してしまつたなぞという事件は枚挙に暇がありません。さういふ人生を破壊してしまふ可能性を孕んでゐる危険な酒をなぜ、そこまでして擁護するのか、といふのが僕の一番の疑問なのです。そして、この大きな疑問に対してのaniさんの反論に僕は、どうしても納得できないのです。

思い切つたことを云ふとaniさんは聖書の飲酒に関する箇所を最初に分析してから飲酒肯定の立場に立たれたのではありませんか。直覚した上で分析するのではなく分析してから直覚したやうに思ひ込んでゐるのではありませんか。たしかにaniさんの論理には破綻がなく筋が通つてゐます。傾聴すべき立派な意見だとも思ひます。けれども、どうしても合点がゆかないのです。僕の本能的な直感がそれは違ふとアラームを鳴らし続けて止まないのです。

これが、おほよその僕の意見ですが、どうも的外れな感じがいたします。また正式にコメントに対するご返事をいたします。続きは“「論」ブログヨシ樹”でいたしませう。最後にaniさん、超多忙な中、真摯なコメントを下さり誠にありがたうございます。くれぐれもお身体にお気を付けてお仕事をして下さい。改めて誠実なaniさんに感謝したいと思ひます。どうもありがたうございました。


「論」にアップしました!

小説「規格外貧乏生活漂流記」(三)をけふアップいたしました。「規格外貧乏生活漂流記」シリーズは、まだまだ続きます。当ブログの兄ブログたる“「論」ブログヨシ樹”にアップロードしてゐる小説のことを記してゐるのであります。

過日、某友人に、この小説の下読みを依頼しました。彼は誠実に下読みをしてくれました。その彼曰く、これは私小説と云ふよりはドキュメンタリーだな、とのこと。またある友人はもつと夢や希望を織り込んだ方がいい、とアドヴァイスしてくれました。

かういふ意見や感想をどしどし送信していただきたいのです。読者諸賢にとつて、この小説が詰まらないやうなら打ち切りもあり得ます。読者諸賢の厳しいご意見、ご批判をお待ちしてをります。

ちなみに今回で66本目の記事を書くことができました。まだまだ書き続けますので、変はらぬ、ご愛顧を賜りますやうお願ひいたします。アップした小説は週末の暇潰しにご活用していただければ幸甚です。


銭を捨て想を得る

金銭の要はこれを有益に消費するにあり。消費すべきものを蓄積すれば腐蝕(ふしょく)するはもちろんなり。

他物の腐蝕は、その物自身の腐蝕にとどまれども、金銭の腐蝕は引いては精神に及ぶ。

もし憂鬱的(ゆううつてき)思想を去らんと欲せば、もし常に快活にして生命の真意を味わわんと欲せば、吾人は守銭的念慮を放棄し、銭を捨て想を得るの道を講ぜざるべからず。



内村鑑三 『続一日一生』(教文館)2月5日より 本記事題名は引用者による

古典音楽

リュート

最近、ヨハン・セバスチャン・バッハ(以下、便宜上J.S.バッハと表記する)の曲を13弦のリュートで弾いた演奏をCDで聴いてゐます。

静謐且つ深遠な音楽で気持ちが和らぎます。昔からリュートといふ楽器には興味がありました。さすがに自分で弾いてみよう、といふ気にはなりませんでしたが是非、聴いてみたいといふ思ひは長い間ありました。

ギターのやうでギターでない。ハープのやうでハープでない。不思議な楽器です。CDではポプキンソン・スミスといふリュートの名手が巧みに奏でてゐます。演奏は1987年にドイツのセーウェンの教会で録音されたものです。けれどもスタジオで録音されたやうな完璧な演奏です。音質もすこぶるいい。

思ふにJ.S.バッハの世界は奥が深いですね。音楽の父と呼ばれるゆゑんです。クラッシック音楽は聴いても気分が高揚するわけではなく、むしろ気持ちが落ち着きます。

僕は若い頃から現在に至るまで、いはゆるフュージョンあるいはクロスオーバーと称されるジャンルの音楽を聴いてきました。最近になつて、やうやくクラッシック音楽もいいものだなと思へるようになりました。それは、とりもなほさず僕が年を取つたといふことであります。

年を加はへて、やうやく解かるといふ世界があります。それが古典と呼ばれてゐる世界ですね。J.S.バッハの曲は古典です。古典を聴くといふのも僕の云ふ古典主義の復権に資するものだと思ひます。


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