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レッツ年越しライブ!

失業した時に泣く泣く愛車ハーレーのスポーツスターを手放しましたが6弦ベースは売らずに残しておきました。売らうとすれば10万前後の値は付くと思ひますが生活が苦しい現在も手許にあります。なんとなれば、オートバイは数年のブランクがあつても乗れますが楽器の場合、数年のブランクは致命傷になりかねないからです。事実、ピアノの練習など一日の休息も許されないほどです。僕は今でも、できる限り練習してゐます。

レパートリーは全部で五曲です。それらをCDにあはせて弾いてゐます。今年の大晦日にはプロの出演するライブの前座を任されてゐます。年越しライブなど初めてなので少なからずプレッシャーを感じますが、そこは元塾講師ですから百人くらゐならへつちやらです。問題は巧く弾けるかどうかといふ演奏そのものの方ですね。

ちなみに、会場は愛知県ではありません。神奈川県相模原市にある某教会です。当日、恥をかかないために今日も練習をしました。内緒ですがギャラは一本です。なんてね、嘘です(笑)。プロの前座に出演させていただけるだけでも貴重な経験だと考へて喜んでゐます。今年の冬はいつもと違つて愉しみが一つ増えて嬉しい限りです。明日から九月ですね。子供たちの夏休みも終はりですね。大人たちの夏休みはすでに終はつてゐます(涙)。


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詩人の散文

長田弘 ねこに未来はない

詩人長田弘(おさだ・ひろし)の作品は当ブログの読者のひとりであるmintさんから、かつて『一日の終わりの詩集』(みすず書房)をご紹介していただき気になつてゐました。と云ふのもmintさんが、ご紹介してくださつた詩がとても気に入つてしまつたからです。それ以来、何とか『一日の終わりの詩集』を手に入れようとしましたが中古品でも、それなりの値段が付いてゐます。文庫本として出版されてゐるわけでもありません。さういふ次第で今に至るまで購入できてゐません。

けれども、僕は諦めてしまつたわけではないのです。いつか安く入手しようと思つてゐます。さうしたところ、先週末に実家近くのブックオフの書棚に前書と同じ著者の『ねこに未来はない』(晶文社)を見付けました。早速、購入して自分の住まひで読み始めました。

同書は散文で書かれてゐますが、ふつうの散文ではありません。詩情溢れる、おほらかで味わい深い散文で実に魅力的な文章でした。いはゆる美文といふのとも何か違ふのですが読む者の胸に響いて来る文章なのです。同書の奥付を見ると1971年12月25日初版とあります。初版がクリスマスといふのも、なかなか気が利いてゐます。

今から約40年前に氏が上梓した本ではありますが読むのに何の差し支えへもありません。僕は読んでゐて、すこぶる面白かつた。休日の土曜日に一日ががりで読み了へました。こんなに価値ある単行本が古いといふだけで105円で買へてしまふのですから、よい時代になりましたよ。

次は僕が長田弘の本丸と目してゐる『一日の終わりの詩集』を安く入手して読んでみたいと思つてゐます。最後に、mintさん、どうもありがたうございます。また、よい本をご紹介して下さいね。


世界史学習の功徳

『神曲』

現在、僕はダンテの『神曲』の煉獄篇を河出文庫の平川訳で読んでゐます。同書をトイレに置いておき小用の度に何頁か読み進めてゐるのです。同書を読んでみると判りますが様々な予備知識がないと何を述べてゐるのか、さつぱり解からないといふことになります。

旧約、新約の『聖書』の知識が求められるのは、もちろん、ギリシャ神話の知識も当たり前のやうに出てきます。そして、いはゆる世界史も知らなければ理解できないでせうね。ここでいつたん、まとめますとダンテの『神曲』はどの篇も『聖書』の知識、ギリシャ神話の知識、世界史の知識が前提となつてゐるのです。

僕はギリシャ神話については何も識らないに等しいですが旧約、新約の『聖書』の知識は判別できます。遠い昔に習つた世界史も今では、ほとんど忘れてゐますが解かるものもあります。『神曲』を読んでゐると自分の無学に呆然としてしまふ。

けれども、それにもかかはらず、高校時代に世界史を学んでおいて本当によかつた、と思はぬわけにはまいりません。今の教育制度の下では通史としての世界史を学ぶには高校の社会で世界史を選択しない限りむつかしいでせうね。

たしかに、後になつて独学することも決して不可能なことではありません。しかし、頭の柔らかい若い時代に世界史全体を学べたことは本当にありがたい。感謝あるのみであります。

通史としての日本史は小、中学校の授業で勉強する機会があるからいいのですが世界史の場合はさうはゆきません。思ふに、高校の社会は選択制にせずに世界史のみでいいのぢやないか。ダンテの『神曲』を読みながら、そんな感想を持ちました。


紙の時代は終はる?

電子書籍

日本でのiPad発売を契機(きつかけ)に“電子書籍元年”と云はれたのが昨年の2010年でした。爾来、電子書籍端末が次々と発売され電子書籍を買へる電子書店も徐々に増えつつあります。

当たり前のことですが電子書籍を読むには電子書籍端末を購入する必要があります。ただ、僕は電子書籍を読むことに特化した、それではなく電子書籍以外にも様々な目的に使へる端末がほしいのです。特に電子書籍端末と一緒になつてゐるケータイに魅力を感じます。

電子書籍を読む以外にもインターネットにアクセスできて実用的なツールなども多く使へるオールインワンのケータイをぜひ、手に入れたいと思つてゐます。では、ここでいふオールインワンのケータイとは何かと云ふと、それがアップル社のiPhoneなのです。

しかし、またここで繰り言のやうに申しますが経済的に厳しい現在、どんなに素晴らしいケータイでも買ふお金の余裕がありません。ま、貧乏な僕は、もう少し紙の本で読書を愉しむしかありませんね。


『聖書』超訳の是非

超訳聖書の言葉

某日、実家近くのブックオフに行きました。収穫は長田弘の『ねこに未来はない』(晶文社)と雑誌「ダ・ヴィンチ」2011年8月号(メディアファクトリー)の二冊でした。

自分の住まひに戻つて「ダ・ヴィンチ」の頁をぱらぱら繰つてゐると、ある記事が目に留まりました。見開き二頁にわたつて紙幅が割かれてゐた、その記事は『聖書』の超訳についての記事でした。すなはち、『超訳 聖書の言葉』のそれであります。著者の白鳥春彦は『超訳 ニーチェの言葉』がベストセラーになり一躍、時の人になりました。

同書は、賛否両論、それぞれあり今でさへ色々と、かしましく侃侃諤諤の議論がネット上でなされてゐます。それにもかかはらず著者が『聖書』の超訳を敢行したのはニーチェのそれが100万部を超へたことに大いに気をよくしたからに他ならない、と僕は睨んでゐます。要するに、金儲けが首尾よく行つたことに味を占めたのではありますまいか。

僕は色々と云ひたいことがありますが、まづは『超訳 聖書の言葉』を実際に読んでみようと思つてゐます。ただし、『旧新約聖書』のダイジェスト版なぞ巧く書けるわけがないぢやないか、といふ疑念をどうしても拭うことができません。思ふに、これはやつてはいけなかつた、『聖書』の超訳は…。おつと読んでから感想を書くのでした。

著者は云ふ。《「『超訳 聖書の言葉』では、宗教のにおいのしない、今を生きる人にサジェスチョンを与える文章を選びました。(以下略)」》(「ダヴィンチ」8月号56頁より引用)

馬鹿な話だ!宗教書から宗教臭を抜き取つて一体、何が残るのだらうか。まるで炭酸水から炭酸を抜くやうなものではないか。気の抜けた炭酸水なぞ何の値打ちもない。宗教臭を無理矢理に抜いた『バイブル』は意味がない。さう、ヒューマニズムなぞは気の抜けた炭酸水のやうなものであります。

読む前から批判的な思ひを強く持つてしまふが全ては読み了へてからであります。価格は丁度1000円で幻冬舎から発売されてゐます。僕は貧乏だから同書の値段がこなれるまで購入を待ちます。中古で買ふ予定であります。

本記事を読んでゐる読者諸賢はダイジェスト版ではなく直に『聖書』を読まれることを強くお勧めいたします。僕のやうに両方、読むといふのも一つの手ではありますが、これは上級者でないと難しいかもしれません。

なほ、一口に『聖書』と云つても色々あります。僕のお薦めする『聖書』は日本聖書刊行会が発行してゐる“新改訳”『聖書』です。旧約、新約併せて66巻の聖書をまづは通読して下さい。それからです、『聖書』の超訳云々は。思ふに、ダイジェストで横着をしてはなりません。最初から直に原典を読むことです。


「ワードプレス」検討中です

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現在、かうして当サイトに記事を書いてゐますが、このブログは云ふまでもなく無料です。閲覧するのも執筆するのも登録さへすれば原則として、お金はかかりません。“「論」ブログヨシ樹”も事情は同じです。

けれども、時代は、いはゆる無料ブログから有料ブログへ移行しつつあります。それは無料ブログの有料サービスを利用する、といふのとは次元が異なります。ご存知の読者もをられると思ひますが、それが海の向かうからやつて来た「ワードプレス」といふサービスです。

「ワードプレス」といふのは非常に便利な有料ブログサービスで最近、注目されてゐるのださうです。利用するにあたつてはサーバーをレンタルする(借りる)必要があります。

レンタルですから当然、お金がかかります。だから、有料ブログサービスなのです。「ワードプレス」のいいところはブログ形式でホームページが作れてしまふところです。「ワードプレス」をダウンロードするだけなら、只(ただ)です。しかし、ブログとして有効に機能させるならサーバーを借りなければ事実上、不可能です。

ブログとして利用できるのは、もちろんですがネット・ショップとして使ふユーザーも増えてゐるのだとか。

僕が管理する両方のブログを「ワードプレス」で一括して発信することも最近、考へるやうになりました。レンタル・サーバー代も各会社を調べてみると高くても一月、千円もかからないくらゐなので近い将来、「ワードプレス」へ移行しようかと検討してゐるところです。

ただし、現在、使用してゐる両方のブログ・サービスを利用したまま統合するのは無理なのださうです。もし、統合させるなら記事を一つひとつコピーしては貼り付けて、といふ気の遠くなるやうな力業が必要になるさうです。それなりに障碍はありますが検討する価値はあると思つてゐます。

最後に「ワードプレス」に移行したとしても閲覧する際に課金するといふことはありませんので読者諸賢は、ご安心下さいね(笑)。


古典を読むべき理由

池田晶子

以下に哲学者池田晶子が著した『14歳からの哲学』(トランスビュー)から抜粋した文章を掲載いたします。

《考えてごらん。電話もテレビもなかった百年前も、何もなくて自然とともにあった五千年前も、そして、ネットだグローバルだの現代世界も、人が生まれて、生きて、そして死ぬという事実については、まったく同じなんだ。何ひとつ変わっていないんだ。生まれて死ぬ限り、必ず人は問うはずだ、「何のために生きているのだろう」。数千年前から人類は、人生にとって最も大事なこの問いについて、考えてきた。考え抜いてきたんだ。賢い人々が考え抜いてきたその知識は、新聞にもネットにも書いていない。さあ、それはどこに書いてあると思う?

古典だ。古典という書物だ。いにしえの人が書き記した言葉の中だ。何千年移り変わってきた時代を通して、まったく変わることなく残ってきたその言葉は、それだけで、人生にとって最も大事なことは決して変わるものではないということを告げている。それらの言葉は宝石のように輝く。言葉は、それ自体が、価値なんだ。だから、言葉を大事に生きることが、人生を大事に生きるということに他ならないんだ。

(中略)

絶対に間違いないのは、だからこそ、古典なんだ。古典は、考える人類が、長い時間をかけて見抜いた本物、本物の言葉なんだ。消えていった幾千の偽物、人の心に正しく届かなかった偽の言葉の群の中で、なぜその言葉だけは残ってきたのか、はっきりわかる時、君は、いにしえの賢人たちに等しい知識を所有するんだ。これはネットでおしゃべりするなんかより、はるかに素晴らしいことじゃないか。》


暑中お見舞ひ申し上げます

暑中お見舞ひ申し上げます。けふから、お盆休みの読者諸賢もをられるのではないでせうか。

夏期休暇の暇つぶしとして、先ほど“「論」ブログヨシ樹”の記事を更新いたしました。どうかお役立て下さい。

親愛なる読者諸賢よ、暑さ厳しい折、くれぐれもご自愛下さい。それでは短い文章ではありますが、これで失敬いたします。


マイコン世代のつぶやき

僕たちオジさん世代(ま、アラフォーと云つておかうか)の若かりし頃は今のやうにパソコン(云ふまでもなく、パーソナル・コンピュターの略)とは云はずにマイコン(これは註釈が必要だらうな、マイ・コンピュターの略)と云つてゐました。

従兄弟の家にNECの立派なマイコンがあつて羨ましい眼差しで見てゐたことを現在もありありと思ひ出すことができます。価格もまだ出始めの頃でしたのでウン十万円の高級品でした。

ところが、昨今、パソコンは数万円もあれば昔と比べて随分、性能のいいものが買へます。この間、ヤマダ電機に行つて店員と話してゐたらブルーレイも観ることができてオフィスのソフトはもちろん様々な機能が付いてゐる立派なノートタイプのパソコンが10万円丁度だつたのには、ほんたうに驚きました。

まさに隔世の感を覚えます。僕が、かうしてキーを叩いて文章を書いてゐるパソコンは買つた当時は約20万円でしたからね。さう云へば、先日、知人がスタイリッシュなダイナブックのノート・パソコンを29800円で購入した、と云つて見せてくれましたが僕のパソコンが至極、見劣りするものに見えて買い換へたい思ひを強くしました。よい時代になりましたよ。

今の若い人には理解できないかも知れませんが、オジさんたち(僕らのこと、ね)の学生時代にはケータイなどなくて、ほとんどの人がマイコンとは無縁でそれで別段、困ることもありませんでした。

だいいち、僕らが中学生の頃にやうやくCDが開発されたのであつて、それまではレコードを借りて来てカセット・テープにダビングして音楽を愉しんだものです。インターネットなど知る由もなく(存在してゐなかつた)音楽サイトからダウンロードするなどといふことは夢物語の時代でした。

ちなみに、僕が電子メールなるものを始めた時、三十歳を超えてゐました。便利な時代になつたものです。けれども、今の若い人に、この快適さに感謝する心はあるのかどうか。便利さ、快適さが所与のものとして与へられてゐるので精神的な意味で若者は堕落して懈怠、遅滞を意に介さぬ我儘な人間に成り下がつてしまつたのではないかと危惧します。


オートバイ小説に魅せられて(2)

t-shirts.jpg 

ふつう、小説家は人間―とりわけ男女の機微―についてよく分かつてゐなくてはなりません。オートバイ小説は、それに加へて、オートバイの旅といふものが十分に理解できてゐなければ書けるものぢやありません。

『幸せは白いTシャツ』(角川文庫)を読了して僕はすこぶる愉快でした。思ふに、かういふ瑞々しく爽やかな感性が表れてゐる小説は滅多にないのではないか。同書の著者はオートバイ・ツーリングがどのやうなものであるかを十二分に解かつた上でペンを動かして作品を書いてゐるので読者の共感を得ることができるのだと思ひます。

最後に、同書の紹介文を以下に記しておきませう。例によつて引用者が適宜、改行を施しました。なほ、仮名づかひは原文のママ。

《時間の経過は誰に対しても均等で平等です。問題は、その時間のなかでなにをするかです。
 
美しい彼女は旅に出ました。旅に出ているあいだに両親は離婚し、帰る家がなくなってしまいました。
 
旅の行くさきにも、あてはないのです。すくなくとも二年は帰らないという意志があるだけです。

旅の彼女に、陽が照り、風が吹き、雨が降ります。それだけで、彼女は充分に幸せなのです。》

をはり


オートバイ小説に魅せられて(1)

Tシャツ

片岡義男といふ名前は知つてゐました。けれども、彼の小説を本気で読んでみようとまでは思ひませんでした。過日、片岡の『彼のオートバイ、彼女の島2』(角川文庫)を読みましたが半分くらゐで挫折しました。途中から文字を追ふのが、すこぶる辛くなつたからです。

けれども、同書は映画を意識した少し特殊な技法で書かれてゐる小説なのです。僕は同書では片岡の本領が発揮されてゐないのではないかと思ひ、片岡義男のペンが冴へてゐる小説は他にきつとあるに違ひないと考へました。さうして、『幸せは白いTシャツ』(角川文庫)と出合つたのです。

同書には副題が付けられてゐて、“オートバイの詩・夏”といふのがそれです。同書には写真も収録されてゐます。若い頃の三好礼子がモデルとしてオートバイで走つてゐる写真が時々、混ぜてあるのです。オートバイを操つてゐる若い女性の写真を散発的に載せるといふのは大正解だと思ふ。読み手の旅情を掻き立てますからね。

本の奥付を見ると昭和五十八年九月三十日 再版発行となつてゐますが上質紙を使つてゐるからか経年によるヤケがありません。かう記してもピンとこないかも知れませんね。西暦で表はすと1983年9月30日です。随分、昔の小説といふことに驚かれましたか。

僕は以前からオートバイの小説なら片岡義男だと思つてゐましたが、その直感は当たりました。短文を重ね、繋げることにより文章を展開し物語は進むのですが全然、飽きません。そして、思ふに、著者はオートバイ小説のツボをきちんと押へてゐます。

つづく


真夏の朗報

精神的な疾患ゆゑに障害年金を貰つてゐる僕の知人が塾で働き始めてゐるさうです。知人といふのは妙齢の女性ですが今まで心の病により働けなかつたのです。彼女の母親はどんなに喜んだことでせう。娘のことで苦しみ抜いたことをよく知つてゐますからね。ちなみに、彼女の母親は敬虔なキリスト者であります。

六月から働き始めてゐるやうに聞きました。英語と国語を教へてゐるのださうです。夏期講習でも授業をしてほしい旨の依頼をされたのだとか。

驚くべきことに、彼女の学歴は高卒です。彼女は精神的な病気のために大学(短大も含む)で学んでゐないのです。僕は以上の話を自分の母親から聞きましたが俄かには信じられなかつた。大仰な云ひ方をするな、と怒られるかも知れませんが、これはもう奇跡と云はなければならないと思ひます。

この話を聞いた時、僕はほんたうに嬉しかつた。働けない苦しさといふのは僕も自分の経験に照らしてよく理解できるからです。この話は真夏の一服の清涼剤以上に僕の心に作用し爽やかな気持ちにさせてくれました。くだんの彼女が長く続けて働けるやうに願はずにはいられません。


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プロフィール

ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在に至る。
現在、未曾有の大不況下で苦しい転職活動を余儀なくされている。
経済状況は極度の貧乏。某市内の賃貸マンションを棲家としている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプが大嫌い。
趣味はブログ執筆、読書、六弦ベース、オートバイ等々。ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の酷いデフレを憂いつつも某市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実は牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。

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