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本年某日メールやりとり

Pさん(件名:床屋) 安い床屋思い出しました。****店(ママ)詳しい場所はまた聞いてください。

僕(件名:Re:床屋) おはようございます。雨の日は仕事はお休みですのでさっき喫茶店でモーニングを食べてきたところです。****店は僕の行き着けの店ですが散髪する兄ちゃんの態度が悪いので店を変えようと思っていたのです。わざわざご連絡、ありがとうございます。良い一日を。

Pさん(件名:分相応) 値段がそれなりなら、態度もそれなり。(ママ)と思いますよ。広い心を持って。モーニングなんて優雅な。

僕(件名:Re:分相応) 僕は値段が安いからサービスが悪くてもいい、という考え方には与しません。値段以前の問題と思うからです。これは僕の心が広いか狭いかとは別次元の問題です。まあ、Pさんには理解して貰えないでしょうが…。

Pさん(件名:反論ばかり) まあ、好きにすればいいじゃないですか。まわりを敵にまわして何が楽しいのですか。あなたの考え方を変えれば、彼の態度も変わると言っているのです。音楽を聞いて(ママ)気持ちを落ち着けては?

僕(件名:Re:反論ばかり) 僕は間違った考え方に唯々諾々と従う人間ではありません。筋がとおらなければ周りを敵にまわすことも吝かではありません。思うに自分の信念を守るというのはそういうことではありますまいか。この件に関しては僕は一歩だに譲歩しません。好きにさせて貰います。やはりPさんには理解していただけなかった。


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アップしました【「論」ブログヨシ樹】

晦日の今日、皆さんは如何お過ごしでせうか。僕は午前中はブログにかかりきりでした。当ブログの兄弟ブログである“「論」ブログヨシ樹”の記事を二つ更新しました。ぜひご覧になつて下さい。

実は当ブログですでに記した「信仰の友と旧交を温める」の前篇、後篇をブラッシュ・アップして改題した上でアップしました。本年最後の記事になると考へます。

“「論」ブログヨシ樹”の広告になりますがご寛恕願へれば幸ひです。ちなみに“「論」ブログヨシ樹”の今回の記事は現代仮名遣ひで記してゐます。


信仰の友と旧交を温める(後篇)

リード90


読者諸賢は前篇を読んで一つの疑問を抱いてゐると思ひます。敢えて疑問を持つやうに意図して書きました。したがつて、前篇を読んで何の疑問も抱かずに読了してゐたとしたら相当、不注意な読み方をしてゐると云はなければならないでせう。

さう、横浜から相模原までと相模原、愛知間を何故オートバイを使はず電車を使つたのかをまだ説明してゐないのです。この点を何気なく読み飛ばしてはいけません。では、その理由をこれから述べてゆきます。

盗まれたスクーターは横浜港の近くにある某警察署に保管されてゐました。それゆゑ、深夜バスで横浜まで行つて来たのです。某署に午前7時に着き近くの24時間営業のファミリー・レストランで時間を潰し担当の警察官が出勤する午前8時に再び警察署を訪れ保管されてゐるバイクを見ました。見紛うことのない自分のバイクでした。動くか否か懸念されましたが、やはり動きました。

乗つて帰る手続きをしてゐる最中に思はぬことが出来(しゆつたい)しました。手続きに瑕疵(キズといふ意味)があると云ふのです。仮のナンバー・プレートを付けなくてはならないのに僕は持つて来なかつたのです。それは僕が迂闊で持参することを忘れた訳ではありません。仮ナンバー・プレートはダンボールに数字を書いたものでもいいといふ担当警察官の指示があり保険屋に至つては自賠責の証明書があれば仮のナンバー・プレートは要らないとまで云つてゐるのです。僕は何回か訊ねて間違いないか念押しすることも忘れませんでしたが結果はこんな体たらくです。

愛知から神奈川まで深夜バスに乗り、それなりの費用と時間を使つて来たのに困つたなと思ひました。結局、手続きに瑕疵がある以上、目を瞑ることはできない、したがつて、担当の警官が僕の住まいまで責任を持つて陸送するといふ結論に落ち着きました。ここまで云つてくれるなら僕も何としても乗つて帰るのだ、とは抗えず担当警察官の言葉を信じて引き下がりました。

警察署の近くのバス停から横浜駅まで行き、横浜駅から横浜線に乗り町田を経由して友人の住まいの最寄り駅で降り駅前商店街に位置するファミリー・レストランで再会を果たしたといふ訳です。

ここで後日談として明記しておかなければならないのは昨日28日に二名の警察官の方がスクーターを車に積んでちやんと僕の住まひまで届けてくれたことです。担当警官の側にも過失があつたにせよ、そして届けるといふ約束をしたことも承知してゐましたが、これには本当に頭が下がりました。掛け値のない言葉として真実、恐縮してしまひました。

こんなにも誠実な警察官の方がいらつしゃるといふことに非常に大きな感動を覚へました。年末の忙しいであらうこの時期に遠路遥々愛知の僕の住まひまで来ていただき本当に有り難うございます、と何度も頭を下げお礼を云ひました。彼らは笑つてかう云ひました。「ヨシ樹さん、バイクで神奈川から愛知まで乗つて来るのは無謀ですよ、車でも大変だつたのだから」。


信仰の友と旧交を温める(前篇)

横浜

横浜へ赴いた理由を述べる約束でした。実は僕が日常の足に使つてゐた90ccのスクーターが過日、盗まれてしまひました。某日、警察から僕のケータイに連絡があり、件のスクーターが横浜港にあるコンテナの中に入つてゐることが判つたと伝へられました。

盗難届に記載されてゐた車体番号とコンテナにあるスクーターの車体番号が一致した為、僕に連絡があつたやうです。犯人はいまだに判つてゐません。といふことは、横浜から僕の住まひまで陸送してもらふか自分で横浜までバイクを取りに行くかの二つに一つの選択しかありません。もちろん旅費は自腹です。なほ悪い事に動くか否かも判らない、と警察の方に念を押されました。ただ、僕はまづ間違ひなく動くといふ密かな確信がありました。

そこで、深夜バスに揺られて横浜まで行つて来たといふ訳です。陸送すれば手つ取り早いのですが相当の出費を覚悟しなければなりません。そうであるならば、現地に直接、赴いてスクーターに乗つて自分の住む街まで帰らうと思ひました。その方が安く済むからですね。そのついでに大学時代に通つてゐた教会の友人たち(年子の兄弟)の許を訪れたのでした。

実はこの兄弟には今年の三月に一回逢つてゐます。しかし静岡のバイク店にレンタル・バイクを返却しなければならなかつた為に急いで出発せざるを得なかつたので充分、話し合ふことが叶いませんでした。一方、今回はじつくり腰を据えて話し合ふことができました。

横浜から相模原にある友人の住まひまで電車で行き、丁度、昼時に待ち合はせのレストランに着きました。ソフトドリンクをオーダーし待つてゐると懐かしい顔が入つて来るのを認めました。話は尽きず随分、長い間、席を温めました。やがてレストランを出ると街並みは僕が大学生の頃とだいぶ変わつていました。それだけの歳月が過ぎていつたのですね。一日目の夕方には友人の居にて兄弟二人と僕の三人でホットプレートを囲み、お好み焼きを食べましたが、これがすこぶる美味しいのです。しかも腹いつぱい食べることができて大満足でした。

食べ終へても話は尽きず一日目の夜は遅くまで話してから床に就きました。バスの中では一時間くらゐしか睡眠を取ることができなかつたので泥のやうに眠り眼が醒めた時、大仰ではなく一瞬ここは何処だらうと思つたくらゐです。一日目は酷く疲れてゐたに相違ありません。けれども熟睡できたので二日目の朝は清々しい気持で起床でき疲れは完全に取れ身も心も軽くなつてゐました。二日目の夕方からキャロリングに出かけクリスマス・イブ礼拝にも出席しました。

キャロリング イブ礼拝 イブ礼拝②


イブ礼拝はとても愉しい礼拝でした。可愛らしい子供たちが聖書を朗読したりして何とも云へない気持になりました。文学者の小林秀雄の《美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。》といふ文章はあまりにも有名ですが、この伝で云へば可愛らしい「子供」がゐる、「子供」の可愛らしさといふ様なものはない、云はなければならないかもしれません。やはり子供はいいですね。

ピアノ、バイオリン、オカリナ等の楽器を使つた讃美もあり楽器を愛する者として見所満載の礼拝でした。礼拝といつても、しかつめらしい堅苦しいものではありません。銘銘が愉しんでいる様がとてもよく見て取れました。さういふ愉しい礼拝のお蔭で僕も何だか愉快な気持になりました。

豚汁

礼拝が終はつてから豚汁とご飯を無償で沢山いただき心身共に温まりました。懐が寒い僕にとつては何よりのクリスマス・プレゼントです。教会の有志の方々との交流も良い想いでになるでせうね。その内の一人が当ブログにコメントを下さつたパンダちやんその人です。

教会を辞し、友人宅に戻つてから懲りずにまたもや話をしました。くだらない馬鹿話から高尚な信仰の話に至るまで夜を徹して語り合ひました。話題には事欠かきませんでしたね。気付けば夜は白々と明け、すでに朝になつてゐるではありませんか。あまりに居心地が良いので何時までもぐずぐず留まつてゐたかつたし実際さうするやうに促されました。その気持は至極有り難かつたのですが結局、別れを惜しみつつ早朝に友人の住まひを辞し列車で愛知の自分の住まひまで帰りました。

お金はかかりましたが充実した小旅行だつたと云ひ得るでせう。本記事は随分、長くなりましたが、そうであつてなお続きを記したいと思ひます。乞うご期待。


いざ横浜へ

読者諸賢へ

本日の深夜から24日のクリスマス・イヴまで用事で神奈川まで行つて来ます。屹度、25日も丸一日潰れるでせうね。それまで、ブログの更新はできなくなりますのでご諒解下されば幸ひです。この頃は記事更新ができず間隔が空いてしまふことが、ちよくちよくあるので断るまでもないかもしれませんね。

なぜ、神奈川まで行くかは事情が許せば後で詳しく記事に述べたいと思つてゐます。乞うご期待。

管理人 ヨシ樹



優しい人

そのキリスト者は限りなく優しかつた。僕はその人の兄弟に腹を立ててゐたのです。それにもかかはらず、それを知りながら敢へて声をかけてくれたのです。ところが、僕の怒りの矛先はその人にも向かひました。突慳貪な態度で横柄に答へてゐましたが、やがて、そんな苦々しい気持は融解しました。

心の籠つた柔らかい言葉に僕の頑なな硬い憎しみの感情は溶けてしまひました。その人の配慮に充ちた優しさに僕は知らず識らずのうちに感動してゐたに違ひありません。まさにキリスト者の面目躍如たる行き届いた配慮です。

僕は彼女の温かい思ひやりにより心を包んでゐた鎧を脱がざるを得ませんでした。思ふに吾人は心の鎧を脱ぐ訓練を積まねばなりません。

間もなく僕らはこの世で得た一切合財を剥ぎ取る死と対峙せねばならないのです。吾人は誰であれ裸で生まれ裸で死んで往きます。鎧なぞ役に立たず、むしろ邪魔で厄介なものです。けれども、その人となりや魂の清らかさは剥ぎ取られる懼れはありません。

それゆゑ、真のキリスト者であれば声高らかに「死よ、お前の勝利は何処にあるのか」と云ひ得るのです。


ダイエットしませう

自転車

最近、自転車に乗るやうになりました。良い自転車に乗ると漕ぐのが愉快で、近所の店に日用品を買ひ物に出かける時などはよく使ひます。いい運動になつてゐます。

本日、比較的、大きな店舗を構へてゐる「あさひ自転車」で自転車専用の施錠式ロックを後輪に付けてもらひました。自転車専用のロックの価格は980円で取り付ける際の工賃は100円でした。これは、すこぶる良心的な料金だと思ひます。僕は今は乗つてゐませんがオートバイの工賃が幾らかの知識はそれなりにあるので件の自転車屋の工賃には驚きました。オートバイなら廉くても数千円が当たり前ですからね。

この頃、市内なら何処へ行く時も自転車を使ふやうにしてゐます。出つ張つた腹を何とかしたいからに他なりませぬ。自転車の美点は車やオートバイと違つて燃料を気にせず、しかも置く場所もあまり取らない点ですね。そして何よりも移動しながら身体を鍛えることができる点がこの乗り物の最も素晴らしい点だと思ひます。

久し振りに自転車に乗り身体を動かすやうになつて、よく眠れるやうになつたのも自転車を使ふことにより齎された恩恵と言い得るでせうね。

これから、安価なダイエット手段として徒歩と絡めて一生懸命、自転車を漕ぎたいと思ひます。


豚的幸福と真の幸福(下)

僕は偉さうなことを云つてゐますが自分の「就職問題」で右往左往してゐる愚かで弱い人間です。しかし、この困難の中にも意義を見付けるべく努めてゐます。これは神が与えられた試練だと思つてゐます。僕はこの天与の課題に真摯に取り組みたいと考えてゐるのです。「就職問題」に屈服するつもりは毛頭ありません。

読者諸賢の中にも上手くいつてゐる人、さうでない人、それぞれをられるでせう。見たところ八方塞の現状を突破するのに自分の力では如何ともし難い、とほんたうに心の底からさう思へるなら、神に頼るしかなくなる。神から離反するといふのが最も重い罪である。そうであるならば、四面楚歌の窮状に、もうどうしやうもなくなり人間を頼ることができなくなつたその時、道が拓けてくる、と僕は固く信じてゐます。

神が神であるならば不可能なことは何一つない。これは誰もが否定できない理の当然です。この希望を抱いてゐるから僕は諦めないのです。

世間の云ふことに唯々諾々と従えば世間は直ぐに諸君を認めます。けれども、世の常識や権威を追認して満足するならば、それは漱石の云ふ、いはゆる「豚的幸福」に他ならない。僕らキリスト者はこの地上に足を置き、彼方なる天国へ眼を向けて死にむかつて嬉々として進んでゐます。石原慎太郎の云ふ「老いを迎え撃つ」ことができるのはひとりキリスト者のみです。


豚的幸福と真の幸福(上)

更新の間隔が随分空いてしまつたことを果たして親愛なる読者にご寛恕願へるでせうか。虫のいい話かも知れませんが、ご容赦をお願ひいたします。

さて、読者諸賢よ、世のありきたりの人生観に君は果たして満足していられるでせうか。僕はキリスト者の両親の許で、この世とは全く別の価値観を幼い頃から叩き込まれてゐるので、いはゆる「勝ち組」「負け組」などといふ今の世を風靡してゐる浅薄な価値観を何としても呑み込むことができないのです。

ところが、世人は逆にキリスト教の価値観あるひは考へ方を怪しみ、荒唐無稽ではないかと論駁するのですね。たとへば、処女降誕やキリストの復活などは今日の常識からすれば、たうてい信じ難い事柄でせう。したがつて、アレゴリー(寓話)としての価値は認めても文字通り歴史的事実だとは受け止めないのです。決して率直に額面どおりには信じようとしません。

よろしい、この史実を信ずるか否かの判断は君に委ねよう。けれども、君が抱いてゐるその人生観に誇りは持てるのか、心の底から充足を感じてゐるのか、と問へば諸君の胸中は穏やかならざる思ひに覆はれるでせう。もし、さうでないなら、その方がもつと深刻です。

君は夏目漱石の云ふ「豚的幸福」に酔つ払つてゐるだけです。人生はさう単純ではないし、簡単なものでもない。そして現世も大事だが彼岸にも眼を向けなければならないでせう。君がもし、今、仕合せであると躊躇ひなく云へても死に対峙した時も変はらず落ち着いていられるでせうか。そして、死ぬまでの時間と死んでからの時間を比較すれば死後の時間の方が遥かに永いと云つて足りないくらゐ永いのです。もつとも、魂不滅を信じなければ僕の云ふことも意味をなしませんが。けれども、僕らが死んで無に帰するとしたら、この世で精一杯、努力して生きることに何か意味があるのでせうか。次回の記事につづく。


一日一生

内村鑑三その弐

その昔「日々是決戦」といふスローガンを掲げてゐた某大手大学受験予備校がありましたが一瞬一瞬、一日一日を大切に生きるといふ事の重要性は異口同音に時代を超へても云はれてゐます。

明治時代のクリスチャン(キリスト者)である内村鑑三の言葉に次のやうな言葉があります。すなはち、「一日一生」です。これは彼の著作の一つの題名であります。

思ふに一日一日がその人の一生を構成してゐるのです。一日を充実させる事がひいては人生を充実させる事に繋がるのです。逆に、まあ今日一日の事だから、と一日をおざなりに過ごす人は人生もおざなりな人生のままで終わるに相違ない。

明日、死ぬかもしれぬ。では、飲んで喰らつて愉しもうではないか、と刹那的な享楽を追ひ求める人物は生涯を閉じる時に屹度、後悔するでせう。

内村の云ふ「一日一生」といふ言葉にはさういふ厳粛な意味がある、と僕は解釈してゐます。何が云ひたいのか。結論は至極単純です。一瞬一瞬の掛け替えのない今を大切にし今を充実させよう、今この瞬間を精一杯生きようといふ事です。


嗚呼、ホームレスよ!

昨日の朝、僕の住んでゐるマンションのゴミ捨て場でゴミを食べてゐるホームレスの男性を認めました。僕は正視できませんでした。お金がない、といふのはとても辛い事だと思ひます。世人が考へる以上に経済問題は深刻です。人間の尊厳が、がらがらと音を立てて崩れてゆく様をまざまざと目の当たりにしました。

世に裏切られて辛酸を舐め塗炭の苦しみに呻吟してゐるであらう同国民がゴミを食べてゐた。僕はどうしてやる事もできず、俯いて通り過ぎました。


『西行花伝』

西行花伝

辻邦生の『西行花伝』(新潮文庫)を遂に読了しました。僕は普段、テレビや新聞は見ないで、その時間を読書に割いてゐます。テレビを観て、しかも大いに教養も積もうなどといふのは無理な話です。僕は良書を読むためにテレビ視聴を完全に諦めてゐます。しかし、テレビなどを観るのを止めても何の痛痒も感じませぬ。新聞はまだしもテレビはどうも好きになれません。そういふ次第で室(へや)にゐる時はもつぱら読書をするかベースを弾いてゐます。

『西行花伝』を読み終へるまでに丁度、三週間かかりました。何せ700頁を超える大作ですから読むのにはそれなりの時間はかかります。読んでゐる際、学生時代に読んだ谷崎潤一郎の著した『細雪(ささめゆき)』に何処となく似てゐるな、と思ひました。『細雪』は『西行花伝』を超える超大作です。今は中央公論社から上、中、下の全三巻で売られてゐるはずです。僕が読んだ当時は全一巻で随分厚い本でした。

『細雪』を読んだのは大学生の頃だつたので閑に任せて最後まで読みとおせましたが何の感慨も湧きませんでした。屹度、僕が理解するにはまだ早かつたのでせう。ちなみに『西行花伝』は谷崎潤一郎賞を受賞してゐるくらゐですから僕が『細雪』を彷彿と想ひ出したのももつともと云へるかもしれません。以下に読んでゐるうちに僕の心に留まつた西行の歌を記しませう。


心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮

世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ

願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃



彼は最後の歌にある願ひのとほり死んでゐつたと伝へられてゐます。


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プロフィール

ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在に至る。
現在、未曾有の大不況下で苦しい転職活動を余儀なくされている。
経済状況は極度の貧乏。某市内の賃貸マンションを棲家としている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプが大嫌い。
趣味はブログ執筆、読書、六弦ベース、オートバイ等々。ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の酷いデフレを憂いつつも某市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実は牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。

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