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期限の利益 後編

<期限の利益>という考え方は一風変わっています。学校でも会社でも提出物には締め切りがあります。言うまでもないことでしょう。

学校の先生や会社の上司はなるべく早く提出するように生徒たちや部下たちに強く促します。そして早く提出することは良いことだと評価され実際、早い提出者は褒められるでしょう。

けれども、提出日に出せば文句は言われないはずです。逆に言えば、提出日までは提出しなくてもよい権利があるのです。これが<期限の利益>の考え方に他なりません。

学生や会社員は<期限の利益>の考え方を知った上で勉強や仕事をすれば心に余裕が生まれて来るのではありますまいか。

学校や会社の常識はいつも正しいとは限らないと知るべきです。


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期限の利益 前編

民法を学ぶと<期限の利益>という考え方を知ることができます。例えば、話を簡単にするために貯金は考慮に入れぬとして手持ちのお金が五万円あるとします。全財産五万円と考えれば話が解りやすくなるでしょう。

九月末日までにケータイの料金を一万円、マンションの賃料五万円は九月二十日に支払わねばならないとします。給料日を九月二十五日と設定しましょうか。よろしいですか?

そうすると、ケータイの料金は九月末日まで支払わずに先に支払期日の来るマンションの賃料を手持ちの五万円で支払います。そして、九月二十五日に給料を貰ってからケータイ料金を支払えばいいのです。以上がこのケーススタディの正解です。そして、これこそが<期限の利益>の考え方に他なりません。

<期限の利益>とは期限が到来するまでは債務の履行を請求されないという期限未到来により債務者が受ける利益のことをいうのです。

実にシンプルな考え方ですが重要な考え方でもあります。なあ~んだ、そんなことか、と肩透かしを喰ったと感じている読者諸賢よ、話には続きがあります。では後編でお逢いしましょう。


当たり前じゃん

毎日更新せずに申し訳ありません。久々の更新です。本日も仕事があります。世間は週休二日ですが草刈りは日曜日の一日のみが休みなのです。本日、午前五時半起きです。

先日、草刈りのアルバイト先の社長のご厚意で現場の作業員皆(社長を含めて総員七名)に現場から少し距離のある場所に位置する定食屋で昼飯が振舞われました。仕事が一段落付いたので作業員の皆を労う意味でご馳走してくれたのだと解します。

皆で一つのテーブルを囲んで、とんかつ定食やら焼肉定食を食べているとテレビを観ていた社長が一言。「金が欲しいなんて当たり前じゃんなあ」と聞こえよがしに呟きましたが、この発言が妙に印象に残っていて耳朶(じだ)から離れません。

おそらく社長は窃盗事件だか強盗事件だかの犯人の犯行の動機とおぼしき供述を報じたテレビニュースを観てコメントしたのでしょう。けれども社長の発言は決して卑しくは聞こえず、むしろ清々しいくらいでした。実に面白くハッとさせられたコメントでした。

思うに市井(しせい)の苦労人の発言の方がテレビのいわゆるコメンテーターより数倍は面白い。テレビのコメンテーターのお上品なコメントには決して出てこない実に秀逸なコメントではありませんか。テレビのコメンテーター諸氏よ、これくらい鋭く本質を突くコメントをしてくれよ!


再びお詫び

ブログの更新が何時の間にやら毎日更新から不定期更新になってしまっており、大変申し訳ありません。

只今、精力的に就職活動に邁進しており、しばらくかような状態が続くかもしれませんが何卒、ご容赦ください。

お盆休みの間に様々な事があり、書くネタには困っておりませんが、いい加減な記事を書きたくないのです。

就職活動に目鼻が付くまで今しばらくお待ちください。

ハタボーさん、mintさんのコメントに対する返事も猶予の期間をいただければ幸いです。

改めて、読者諸賢のご理解を賜りますようお願いいたします。


管理人 ヨシ樹


プロに訊く

六弦ベースを弾いていて最近、弦高が少し高いと感じていたので、お盆休みで時間がそれなりにある本日、ネックが反っているのではないか、という疑問を抱きつつ六弦ベースをクルマに積んで楽器店に持ち込んでみました。

店員がネックヘッドからネックの付け根まで仔細に観察した結果、異常はないことが判明しました。ひとまず、ホッとしましたが何処もいじっていないので弾き辛さは依然として残っているはずです。

弦高の調整のやり方を教えていただいたのでDIYでやろうと思っています。ベーシストはこういう作業そのものが楽しいのです。思うに、面倒なことは全部、アウトソーシングというのは趣味の世界では淋しいことではありますまいか。面倒は全部、外注という考え方は趣味の何たるかを知らない人の考え方だと僕は思います。

チューナーも調子がおかしかったので、ついでに見てもらい、電池交換をして、さらにチューニングをする際、倍音(いわゆるハーモニクスのこと)でチューニングをすれば安定して音の調整ができることを教えていただきました。もう少し具体的に説明を加えると十二フレット目の倍音でそれぞれの弦を調整するのだそうです。

電池交換した理由は電池が消耗するとチューナーを使う際、精確に調整ができなくなるらしいのです。さらに倍音でのチューニングの方がチューナーが音を識別しやすいという基本も教えていただきました。お蔭でまたひとつ勉強になりました。

かような親切且つ丁寧な某楽器店の店員の態度はすこぶる感じがよい。またお店に足を運びたくなりますし、近い将来、屹度再び、くだんのお店に足を運んでいることでしょう。


戦争 後編

国家間の争いも子供同士の喧嘩も同根です。

なぜなら、両者共に自分側の勝手な<正義>を振りかざし相手の立場を顧みることをせず力づくで無理矢理、押し付けているからです。

これと似たようなことを僕たちはしていないでしょうか。嫌いな人たちや立場の弱い人たちに対して、自分の<正義>を押し付けたり、憎んだりしていないでしょうか。

学校や職場で<いじめ>の問題が起きるのも無理からぬことだと思います。大小を問わず争いは方々であります。

人間は常に誤るものです。相手も誤るし、自分も誤る同じ人間です。それを心から合点すれば相互に認め合うことができるのではないか。

まず、自分の身の周りから平和を築いていく努力をしたいものですね。


戦争 前編

一週間後に終戦記念日を控えた今日は戦争について考えてみたいと思います。以下に僕の意見を記します。

戦争について考える時、僕たちは国家間の争いをイメージするあまり、自分とは無関係という風に考えがちです。

けれども、戦争は僕たちと無縁ではありません。戦争について論じる際に自分を除外して考えても得られるものは何もないでしょう。

なぜなら、それは空理空論であり、議論のための議論を出ないからです。もう少し具体的に考えなければ駄目だと思います。

僕たちは喧嘩をしないでしょうか。あるいはしない人もいるかもしれません。それならば、人を憎んだことはないでしょうか。悪口、陰口を利いたことはありませんか。

たしかに僕たちは人を殺傷はしていないでしょう。また悪口、陰口を言ったからとしても、それをもって戦争と同レヴェルに考えることには論理的に大きな飛躍がある、と反論があるかもしれません。

しかし、それでも国家間の争いも子供同士の喧嘩も同根であるとするのが僕の考え方であります。        ― 後編につづく ―


勉強と方法論 後編

僕はこう考えます。方法論で悩む閑があればその時間に英単語の一つでも憶えた方がよほど生産的である、と。

勉強と方法論とは水と油のような関係だと思います。そもそも勉強とは泥臭く、格好良いものではありません。遮二無二勉強する姿はどう見ても恰好悪いです。ガリ勉などと悪口を言われないとも限らない。

けれども、熱心に勉強に取り組んだ結果、そのような評価を下されてもよいではありませんか。立派な人物は皆、例外なく若い頃から熱心に勉強をしています。なかには勉強するあまり狂人扱いされた偉人でさえいるのです。

とはいえ、僕たちは人に認められるために勉強するのではないはずです。人生の最期に自分の人生に悔いはなかった、と言えればいいのです。また、そう言えなくてはなりません。方法論で悩む閑はないのです。近道はないのです。


勉強と方法論 前編

僕は勉強に近道はない、と考えています。言い換えると、楽をして良い成果をあげることはできない、ということです。

これは頭の中で拵えた空疎な観念ではありません。僕が勉強して辿り着いた結論に他なりません。僕の経験を述べているのです。

書店に行くと勉強のやり方に関する本が所を狭しと並べてあります。いわゆる<勉強ハウツー本>です。そういった類の本の帯には人目を惹く様々なキャッチフレーズが書かれてあります。それらをまとめた文章を最大公約数的に記すならば次のとおりです。

「最小の努力で最大の効果をあげる驚異の方法論。あたなもこの本を読めば、偏差値ラクラク10以上アップ!」

このようなキャッチフレーズに乗せられて本を買って試せばどうなるか。このキャッチフレーズどおりに成果をあげる方法論が果たして存在するのでしょうか。

僕はない、と思います。つまるところ、うまい話など存在しないのです。  ―後編に続く― 


挨拶

礼儀がなっていない社会人 ―形容矛盾ですが― は皆、「挨拶」を軽視しがちです。けれども、「挨拶」は人間関係における潤滑油の役割を果たします。

僕は「挨拶」するように幼い頃から厳しく躾けられました。有り難う・御免なさい、はむろんのこと、お早う・今日は・今晩は、等は言って損になる言葉ではありません。むしろ、言った人間も言われた人間も気分が良くなります。

それにもかかわらず、「挨拶」を軽視する人間は如何様な人物であれ僕は信用できません。僕は「挨拶」が当たり前にできてこそ、一人前の社会人だと強く思います。


一気飲み

すでにお気付きの読者もおられるかもしれませんが現在、僕は土方の仕事をアルバイトという雇用形態でしています。

炎天下に長袖、長ズボンで両手には軍手を嵌めて草刈機で草を刈っては集めています。五分もしない内に身体から汗が吹き出てきますし吐く息ですら熱いのです。容赦ない直射日光を浴びながら朦朧とした状態で永遠と感じられるくらい長い時間をブンブン唸る草刈機のエンジン音を聞いて過ごしています。

この酷暑の中、肉体労働というのは本当にキツイです。この前の昼休みなど一リットルの炭酸ジュースをほぼ一気飲みできました。それだけ喉が渇くのです。汗も出ますしね。尾籠(びろう)な話で恐縮ですが、出る小便の色はほぼ真黄色です。

そんな次第なのでブログの更新をする気になかなかなれません。それだけ疲れ、消耗してしまうからです。僕は現場で唯一の大卒ですが、大卒は知識ばかりの頭でっかちで根性がねえな、という風に舐められたくありません。高卒のお坊ちゃま連中に負けて堪るか。

以上に記した理由により、mintさんの素晴らしいコメントに対する返事、もう少々、お待ちくださいね。


読むに堪える文

現在、昔と比べて文を草す機会が著しく増えました。これが良いか悪いかの問題は措いて今回はまた文章についての一意見を述べます。

E‐mailを送受信するのが当たり前になっている昨今、下手糞な文章を書けば書いた人間の知性が疑われます。もし、文章を書くのが苦手であれば、僕のようにせめて要らない紙に下書きをして推敲をしてから発表すればよいと思いますが如何か。

僕たちはすべからく、もう少し文に気を遣うべきです。推敲もしないで発表することに恐怖は感じないのでしょうか。僕にとっては何とも不思議であり不可解でもあります。

なぜ良い文章を書こう、と努力しないのだろうか。これが根本の疑問です。

国学者の本居宣長の文章には無駄な文がひとつもない、と批評家の小林秀雄は講演で述べています。

簡潔であって明瞭でしかも魅力的な文章をお互い書きたいものです。


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プロフィール

ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在に至る。
現在、未曾有の大不況下で苦しい転職活動を余儀なくされている。
経済状況は極度の貧乏。某市内の賃貸マンションを棲家としている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプが大嫌い。
趣味はブログ執筆、読書、六弦ベース、オートバイ等々。ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の酷いデフレを憂いつつも某市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実は牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。

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