誤謬について

人の間違いを見つけて得々としている者がいます。

けれども、人間はパーフェクトではありません。

心配無用です。彼はそんなことも知らないのです。


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職務質問

警 官:「こんなところで何をしている?」

哲学者:「…………。」

警 官:「君はいったい何者か?」

哲学者:「その答えを探しているのです


○×思考

○か×かの二者択一思考。

0か1かのデジタル思想。

僕たちはもっと深く、立体的に考えねばなりません。

思うに○か×かの平面的な思考はあまりにも浅薄です。

僕は「浅薄」という謗り(そしり)だけは何としても御免被ります。

僕の書く記事が「浅薄」でなければよいのですが…。


一周年記念記事

今度の月曜日、五月三十一日で当ブログの兄弟ブログである

《「論」ブログヨシ樹》が丁度満一歳になります。

これも読者の皆様のお蔭と考え、とても感謝しております。

時間が許せば本記事のタイトルにあるとおり一周年を記念した

特別の記事を書くつもりです。乞うご期待!


人々の恐れるもの

世の人々は「嫌われる」という事をあまりにも恐れている、と思います。

「嫌われない」よう、戦々恐々として実に涙ぐましい努力をしています。

しかし、自分の信じる道を往こうとする際、反発される事もあるし、嫌われる事もある。

その時、「嫌われない」ように己が信念を曲げるなら人間としての甲斐がありません。

巷間にはあえて「嫌われてもいい」という覚悟を持つ人がほとんどいません。

皆、人の顔色を窺っている。思うに現代人は嫌われる事に敏感になり過ぎている。

嫌われたっていいではないですか。己の信念を曲げるくらいなら。


反ヒューマニズム

僕の思想的立場は反人間中心主義です。

換言するならば、神中心主義です。

この時代で思想的に反発を受けるのは反ヒューマニズムでしょうね。

言い換えるならば、反ヒューマニズムを標榜すれば誰からも見向きもされなくなる。

表現者として僕は極めて危険な隘路を通っていると自覚しています。

それでも神中心主義を高々と掲げたい。

現代人が見失った物を取り戻すべく…。


饒舌は愚かなり

映画「ゴッドファーザー」は名画としてあまりにも有名です。

この映画のワンシーンに首領コルレオーネが長男のソニーに

思っていることをすぐ口にするな、とたしなめるシーンがあります。

これはひとつの智恵でしょう。

思っていることをドンドン口にすればやがて

あなたに対する信頼が失墜するのは火を見るより明らかです。


空気を読む

放っておいて欲しい時があります。

しかるに空気の読めない人は声を掛けてきます。

声を掛けて欲しくないわけではありません。

声の掛け方とタイミングが問題なのです。

他人を思いやることができる空気の読める人間になりたいものです。


唾棄すべき結束

田舎では弱者を排除することにより結束するのだそうです。

言うまでもなく、そんな結束は真の結束ではありません。

かような結束は偽物の結束です。

異質なものを排除することは差別です。

天皇も乞食も同じです。全然違いません。

なぜ、こんな簡単な物の道理がわからないのか。


黒白のつけ方

神はどこに在すか。その証明は「福音書」にある。

ただそこにのみある。

仏はどこに在すか。その証明は「経文」にある。

ただそこにのみある。

宗教を否定するものは、経文や福音書にあらわれた釈迦とイエスの

言葉そのものと対決して黒白を争うべきである。》


亀井勝一郎著『人生論・幸福論』326頁より引用

今日を愉しむ

僕たちが今過ごしている一日は何かの準備のみの一日ではない、と思います。

今日という日は過ぎ去ればもう二度と戻っては来ない。

だから、今日を精一杯生きようではありませんか。

今日という日を心から愉しんで充実した一日にしようではありませんか。

これは刹那主義とは似て非なるものです。

今日をおざなりにしている人は人生もおざなりにしているのです。

今日を愉しい日にするか否かはあなたしだいですよ。


読書と感動

「本を読んで感動したことがないの?」

中学時代に親父の挑発的な言辞にムカついて以来、読書を重ねて来ました。

まさに親父の目論見どおり。

今では本がある生活が当たり前になっています。

ただただ親父に感謝!


幸せはささやかなもの

《世に幸福はあるが、われらはそれを知らぬ。

知っていても重んじない。》


ゲーテ著『タッソー』より引用

ヨシ樹流「ボールペン勉強法」

鉛筆は要りません。消しゴムも要りません。

ボールペンを二種類、用意してください。黒色と赤色です。

そして黒色のボールペンで問題集を解き、赤色のボールペンで採点してみてください。

これこそがヨシ樹流「ボールペン勉強法」に他なりません。

時間がある時に《「論」ブログヨシ樹》でそのメカニズムを詳しく説明する予定です。

読者諸賢は期待せずに待っていてください。


もうすぐ一周年!

タイトルにもあるとおり《「論」ブログヨシ樹》がじきにめでたく一周年を迎えます。

記事の本数は三十九本。あと一つで丁度四十本です。月平均三本以上書いている計算になります。

タイトルに「論」を冠している以上、短いおざなりの文章は書くまい、と決めていました。

ブログが炎上して辛い時期もありましたが何とか続けることができました。

ある程度の量の文章を書くには相応の覚悟が要るものです。

この覚悟がすぐにできればいいのですが、なかなかそう上手くいくものでもありません。

しかし、不思議と続けることができました。読者の皆様のお蔭です。

今年、産声を上げた当ブログ共々、今後とも応援を何卒よろしくお願い申し上げます


『パンセ』という教養

《人間の空虚であることを十分に知ろうと思うならば、

恋愛の原因と結果を考えてみさえすればいい。

その原因は「何だか私にはわからないもの」(コルネイユ)であり、

またその結果は恐るべきものである。

この「何だか私にはわからないもの」、ほとんど認められないようなこの些細なものが、

全地を、王侯を、軍隊を、全世界を動かすのである。

クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう。》


ブレーズ・パスカル著『パンセ(冥想録)』上巻より引用

誰とでも話せますか

随分以前に就任したばかりの慶応義塾大学の学長が

私はどんな人物とも話ができる、と言っていました。

老若男女誰とでも忌憚なく話ができる、というのは

思う以上に難しいことです。

僕はこういう人物に敬意を表します。

誰とでも話が弾む、というのは確かに真の教養人であって、

はじめて可能なことなのでしょう。


客観的な眼

歌舞伎の女形(おやま)は女性より女性らしい、と聞きました。

むろん、女形は男性が演じるのですが、男の眼から見た女性像

なので、女性より女性らしくなるのです。

翻って僕たちは自分のことは自分が一番よくわかっている、と

思うものですが、さにあらず。自己反省は不毛です。

自分をよく知るには他人の客観的な眼が絶対に必要です。


諫言を尊ぶべし

人は一番知りたい情報を教えたがらないものです。

なぜか。一番知りたい情報はあなたにとって

辛辣極まる辛い情報であることが多いからです。

それにもかかわらず、知りたい情報を教えてくれるとすれば

その人に感謝こそするべきであって憎むなんてもってのほかです。


ハイプレッシャー

今日はずっと心の中の嵐と闘っていました。

このままでは鬱病にでもなるのでは、と懸念しなければ

ならないような凄まじいプレッシャーでした。

けれども、今日のところは胸中にある強烈な葛藤に打ち勝ちました。

正直に申しまして、疲労の極みですが絶対に屈服はしません。

今日だけ頑張れば上出来です。なぜなら、今日を頑張った者にのみ

明日が来るからです。繰り返しましょう、今日だけ頑張るのです。


僕の美学

計算高い人間や打算的な人間は僕とは性が合わないでしょうね。

僕はそういう生き方とは対極の生き方をして来ましたから。

考えるに、僕の美学がそういう生き方を拒んで来たように思います。

愚かな美学と嗤いたければ嗤えばよい。

では、嗤うあなたの美学とは何か。しっかり答えられますか。

君はもう答えられないじゃないか。


教養とは

教養ある人とは人の心がよく分る人だと聞きました。

辛い思いをしている人の胸中がありありと分り、心から

同情してあげられる人こそ真の教養人なのです。

人生の中で困難に逢着し涙を重ねることでそういう慈悲の

心が涵養されるのではありますまいか。

そう、教養の本質には相手を思いやる愛があるのです。


自然のままに生きる

《「善く隠れる者は善く生きる」という言葉には、

生活における深い智慧が含まれている。

隠れるというのは偽善でも偽悪でもない、

却って自然のままに生きることである。

自然のままに生きることが隠れるということであるほど、

世の中は虚栄的であるということを

しっかりと見抜いて生きることである。》


三木清著『人生論ノート』119頁から120頁にかけて引用

勝利者とは

僕の好きな言葉のひとつに大リーガー、ピート・グレイの次の言葉があります。

すなわち、「勝利者は決して諦めない」という言葉です。

ピート・グレイは片手のない大リーガーですが、そのハンディを物ともせずに

野球に生涯を捧げた人です。故人ですけれど…。

その不撓不屈の精神に是非、倣いたいものです。


二者択一

僕の場合、読書とは、テレビを観る時間を削り、

その空いた時間をお金を出して買い、知識を獲得する

活動、と定義することができます。

あなたはテレビ派でしょうか。それとも読書派でしょうか。

僕はこの分岐点の選択を誤るなかれ、と声を大にして言いたい。


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プロフィール

ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在に至る。
現在、未曾有の大不況下で苦しい転職活動を余儀なくされている。
経済状況は極度の貧乏。某市内の賃貸マンションを棲家としている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプが大嫌い。
趣味はブログ執筆、読書、六弦ベース、オートバイ等々。ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の酷いデフレを憂いつつも某市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実は牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。

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