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ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在、名古屋市で暮らす。
家庭教師は週末に副業として続けている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプを嫌う。
趣味はブログ執筆、読書、音楽鑑賞、六弦ベース演奏、バイク・ツーリング等々。
ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の非道いデフレを憂いつつも名古屋市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実はプロテスタント教会の牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。
読者からのコメントが大好物。

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ヨシ樹の雑記帖

日々の出来事を中心に自分の思いを簡潔かつ正直に綴ります。兄弟ブログ“「論」ブログヨシ樹”もよろしく!
哀 カテゴリーの記事

辛かっただろうね

なんだか眠れずに深夜、パソコンを立ち上げてみた。《「学校しんどい、無理」中2女子がメモ残し自殺》という見出しをインターネット上の記事で見かけた。わたしは暗い夜の部屋で煌々(こうこう)と光っているパソコンの画面を見ていて切なくなった。辛かっただろうね。

生と死の間にある暗く深い淵を乗り越えようとした時、葛藤がなかったはずはない。怖くなかったはずはない。なんといっても中2の女の子なのだ。まだいわゆる「ガール」である。なぜ、この若さで死ななければならなかったのだろうか。

ナイーブで優しい子供ほど切羽詰まって自らの命を絶つ。悲しいよ。いじめている子に報復などすることもせず、黙って、この世に見切りをつけて他界する。本当に残念だ。思うに、こういう子供に限ってとってもよい子であるケースが多い。

わたしは現在、副業で家庭教師として中学二年生の男の子の国語を見ている。この間、授業に行ったとき、この子はトイレに閉じこもって出てこようとしなかった。わたしが来ても不機嫌を隠そうともしなかった。わたしは左様のことは思春期によくあることを経験上、知っていたので別段、腹は立たなかった。

トイレの扉越しに色々と話した。「明日も仕事はあるけれど今日は、とことん付き合うよ」と言ったら出てきてくれた。こちらの覚悟が伝わったのだと考えている。わたしはこの子がトイレから出てくるまで本当に何時間でも待つつもりだった。深夜になろうが、たとえ日付が変わろうが出てくるまで説得をやめて帰るつもりは寸毫もなかったのである。

わたしは中学生が好きだ。小学生でも高校生でもない中学生を好もしく思っている。君が今どんな状況でもこの世に居続けてほしい。絶対に死なないでほしいな。大人になれば学校なんか行かなくて済むし、会社員にならなければ会社に行くこともない。自由だ!いくらでも工夫の仕方はある。

それまでの間、耐えてほしい。決して絶望しないでほしい。君がこの世からいなくなったら、わたしはとてもさみしい。まして、ご両親の胸中での思いは、いかばかりだろう。ぶざまでも苦しくても彼岸(ひがん)に逃避しないでほしい。頼むよ。お願いするよ。このとおりだ。

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本当の学問

人生いかに生きるべきか。人生とはなんぞや。思ふに、さういふ疑問を胸中に抱きながらも日々の忙しさにかまけて思考停止状態に陥つてゐるのが現代を生きるほとんどの人の姿ではないでせうか。それなのに人生をよく考へてゐる信仰者こそ思考停止の徒と決めつけて軽蔑すらしてゐるのも巷間の人々です。

けれども、果たして神を信じてゐる人物が思考停止に陥つてゐるかどうか本当に正しく公平に検証してゐ人はゐるのか、と言つたら、ごくごく僅かだと思ひます。思ふに宗教を持つてゐる人を色眼鏡をとほして見るのが現代人の習わしになつてゐるからであります。

しかしながら、実は世間に生きる多くの無神論者こそ人生や死後の世界について真摯に真剣に考へることを放棄した思考停止状態のに陥つてゐる憐れむべき人たちではないでせうか。さうではありませんか?

昔の人々は「学問」のことを「道」と呼んでゐたさうです。人生いかに生きるべきか、人生とはなんぞや、といふことが「道」の研究対象でした。それゆゑに「道」を教へる先生は生徒からの「どのように生きればいいでせうか」といふ質問に明確に答へられねばなりませんでした。

翻つて平成の世に生きる吾人のする「学問」とはなんでせうか。人生を生きてゆくためにそれほど必要とは思はれないやうなことが学問研究の対象ではありますまいか。

したがつて、現代に生きる先生に人生のことを訊ねても一笑に付され「そんなことよりも次のテストの点数をもつと上げろ」と言はれかねない。今の先生は人生の真理を教へてくれないのであります。

実際に、いはゆる学校の「先生」からさう言はれた人がいるさうです。その人は女学生の時に「人生」の意味について先生に訊ねたのですが、はぐらかされて答へをもらへずに絶望して鉄道自殺を試みました。手足を切断されてしまつたのですが命は助かりました。紆余曲折を経てイエス・キリストと出会ひ、キリスト者として天国に凱旋されました。

本当の学問とは学問をすることによつて、その人が携わつてゐる仕事が上手くいく、といふ性質のものです。その人と関はる人たちと良好な人間関係を築けるといふ性質のものです。それはつまり、人生にをける自分の使命に気づける、といふことにほかなりません。現代の学問は学問をしたから出世するといふものに堕落してゐますね。要するに、いはゆる「成功」とわかち難く結びついてゐます。

現代人は成功と幸福を同義に見ます。さうなると必然的に、出世して、どれだけお金を稼げるか、といふ問題になります。わたしが思ふに幸福は成功といふ「量的」なものではありません。成功とはなんの関係もない「質的」なものです。

「学問」を「道」と呼んでゐた大昔、皆、向学心に燃えてゐました。よりよく生きたい、と強く願つたのです。それゆゑに「人生とはなんぞや」といふ疑問が、いつたん生じると、その探求心は非常に熱烈なものとなり、生涯消えなかつたのであります。誰もなんにも教へてくれませんからね。

思ふに勉強はわれわれの本能であります。権利であります。本能でなくなつたのは現代くらゐのものではないですかね。黙つてゐても教へてもらへますからね。ご承知のとほり、今の日本には「義務教育」などといふ制度があります。いやはや、いにしへ人とは大変な違ひであります。

中沢啓治氏逝く

はだしのゲン

漫画『はだしのゲン』の作者である中沢啓治氏が昨年末に肺癌で死去されましたね。ヤフーのヘッドライン・ニュースで知りました。享年73歳だつたさうです。僕は同書の愛読者のひとりですから氏の訃報に接して秘かに哀悼の意を表しました。

『はだしのゲン』は昭和48年から週刊少年ジャンプといふ集英社の漫画雑誌に連載された同氏の被爆体験をベースにした自伝的な作品です。たちまちベストセラーとなり英語やロシア語など10箇国以上に翻訳されて映画やアニメーションにもなりました。

僕は原爆投下後の広島の惨状について、これほど克明に記した本を読んだことがありません。では同書は悲惨きはまる何の希望もない読むに堪へない悲劇的な漫画か、といふとさうでもないのです。実に面白い漫画です。面白い漫画でなければベストセラーになる道理はありますまい。何せあの激辛評論家の呉智英が同書の中公愛蔵版の最後に「不条理な運命に抗して」といふ詳細な解説を書いてゐるくらゐであります。

面白いと云つても、もちろん腹を抱へて、げらげら笑ふといふ意味で面白いのではありません。ひたすら感動するのであります。虚心坦懐に、この漫画を読むときに決して涙なしには読めません。かういふ作品は滅多に存在するものではありません。いはゆる名著ですから。さうして単に反戦反核を訴へてゐるだけの漫画ではありません。この点は評論家、呉智英も指摘してゐる点であります。僕は同書は反戦反核以上の作品であると断言して憚りません。

それでは、どういふ内容なのか、と疑問を持たれる方がをられるかもしれませんが、それこそが読書の醍醐味であります。内容を掻い摘んで話したら全くの興ざめであります。タネ明かしされた後に手品を見るやうなものです。本記事の目標とするところは読み手に同書を読んでみたいといふ気持を惹起せしめ本屋の店頭にあつたら、それを入手したいといふ衝動を煽ることにあるのです。

したがつて、どういふ漫画かは読者諸賢が本記事を読んだことを契機に実際に手に取つて読んでもらふに如くはありません。どうか、たかが漫画ではないか、といふ色眼鏡で見ることなく同書を素直な心で読んでみてください。落涙必至の名作です。


少年A

少年

現在、トイレで『「少年A」この子を生んで……』(文藝春秋社)といふノンフィクションを読んでゐます。「少年A」とは誰のことか。さう疑問に思はれた方もをられると思ひます。至極当然な疑問です。「少年A」とは「酒鬼薔薇聖斗」といふ匿名を使つた少年のことです。

かう云はれて大抵の読者諸賢はピンとくるのではないでせうか。さう、1997年に起きた、いはゆる“神戸連続児童殺傷事件”の犯人が「少年A」なのです。

今回、ご紹介する本は、その両親の手記です。同書の表紙には前出の題名と共に“父と母 悔恨の手記”とサブ・タイトルが付けられてゐます。いま、丁度60頁まで読み進めてゐるところです。

大変、悲惨な事件で、まだ記憶されてゐる読者諸賢もをられると思ひます。この本は殺人事件といふ重大な犯罪を惹起した犯人(当時14歳)はもとより、その家族がどうなるかが克明に記されてゐます。記載されてゐる内容は全て事実です。

また読了してから詳しく感想を発表したいと思ひます。思ふに非常に興味深い内容です。もしかしたら“「論」ブログヨシ樹”でとりあげるかもしれません。乞ふご期待。


君が自裁したら僕は悲しい

ヤフーのヘッドライン・ニュースによれば就職活動が上手く行かなくて、つひに自殺する若者が少なくないとのことです。さういふ気持ちはよく理解できます。おそらくは、無様に生きるより潔く死を選ぶといふその人なりの美学や哲学がさうさせてゐるのでせうね。

就職できないといふのは収入がないといふことにほかなりません。収入がなければ早晩、日毎の糧にも事欠くやうになります。これでは人並みの生活ができません。のみならず他人に依存することを余儀なくさせられます。これは深刻な憂ひであり悩みの種であります。

大学時代に通つてゐた教会の青年会で青春を共に過ごした女性が自殺したことを一昨年に知りました。彼女は結婚して家庭に入つてゐたらしいので自殺の原因は就職活動の失敗にあるのではないでせう。原因は分かりません。けれども、いづれにせよ彼女の訃報はショックでとても悲しかつた。涙すら出ませんでした。

中国から伝はつて来た言葉に「陸沈」といふ言葉がありますね。海に沈むのなら誰だつて沈めるが陸に沈むのは難しいぞ、といふ意味です。吾人はすべからくこの馬鹿な世の中と徹底的に付き合ふのです。十分、親しく付き合ふのです。社会からあるひは家庭から逃げないのであります。逃げずに社会に沈むのです。家庭に沈むのです。

馬鹿な識者は云ふ。死ぬ気になれば何でもできる、と。たしかに、そのとほりの正論です。けれども、その死ぬ気になるといふ覚悟が持てないで世に対して絶望するから人は自裁するのであります。一部の識者はさういふ人の気持ちが全く解らないのですね。

さうは云ふものの僕は自死を決して是認しません。生きてゐれば照る日もあれば曇る日もあります。皆、さういふ体験を経て来てゐるのです。死ぬことはいつでもできます。思ふやうに行かずに辛くなる気持ちは十分に理解できます。しかし、それにもかかはらず勇気を出して一日一日を生きて天寿を全うしようではありませんか。僕らは生きる権利と同時に生きる義務も有してゐるのであります。


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