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怠惰な精神

書き手が話の種を仕入れることをアウトソーシング(外注)するといふ怠惰で無責任な姿勢を僕は決して認めたくありません。ブログネタで記事を書くことについて述べてゐるのであります。そんなことは今までしたことがないし、これからもすることは決してないでせう。僕は機会があれば、さういふ不見識なブロガーにブログネタで書いた記事について責任を取れるのですか、と憫笑してお尋ねしてみたい。思ふに、そんな覚悟など塵ほどもないのです。

他人から与へられたテーマで書いて何が、そんなに面白いのでせうか。そこには自分といふものがない。いはゆるオリジナリティーといふものの著しい欠如が見られると思ふのです。思ふに一種の奴隷根性と云つても言ひ過ぎではありません。したがつて、さういふ人物の書く記事は発想がきはめて陳腐かつ凡庸で使はれる言葉は、いちいち紋切型で詰まらないのです。

僕はある学習塾の採用面接で「良い作文を書くにはどうしたらいいか」と問はれて言葉に詰まつた覚えがあります。模範解答は「綿密な取材をすること」です。魅力的な文章を書くには丁寧な取材が必要になるのです。いはゆる仕入れをしつかりとやらなければ、それなりの文章は書けないのであります。良いものを仕入れるには相応の目利きが必要になります。それなりに目利きができるやうになるまでには短くない時日が、どうしても必要になります。さういふ困難を省いて近道をしようなんて魂胆では駄目なのです。

さういふ姿勢では永遠に読者の胸を打つ文章は書けないでせうね。そもそもブログネタに寄りかからなければ書くことが見付からないやうでは書き手として見込みがないし、そんな時には無理をして記事を書くべきではないと思ひます。繰り返し申しますがネタは自分で見付けるものです。そしてネタの選び方は書き手の個性が最もあらはれる部分のひとつでもあります。書き手が苦労して独自のルートで仕入れたネタこそ読者は深く興味をそそられ強く読みたいと思ふものなのです。要するにブログネタでは読み手の心に訴求しないといふことですね。

ブログネタを使ふ書き手は怠惰な精神の持ち主として軽蔑こそされ尊敬されることは絶対にありません。けれども、さういふ横着な書き手にかぎつて今まで書き溜めた記事をまとめて本にしたいなどと途方もないことを何の屈託もなく平気で云ふのです。そんな本を誰が読みたがるのかといふ想像力が全く働いてゐないのですね。かういふ人物を称して「自己を客観視できてゐない人」とか「鈍い人」と云ふのです。


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法曹志望の島田様

ヤフオクを始めてすでに一年以上経過しましたが先般、ヤフオクで初めて落札者都合による落札者削除といふ作業を行ひました。栃木県に住むといふ大学1年生の女の子が一旦、僕が出品してゐた商品を落札したにもかかはらず取り引きをなかつたことにしてほしいと申し出たのが事の発端です。この申し出に対して僕は以下のやうに返答しました。

《まず結論から先に述べますね。結論は****円のお支払いに応じてください、ということになります。島田様のご事情は十分、理解できますし斟酌してさしあげたい気持ちはあります。けれども、当方の側に落ち度が何もないのにもかかわらず商取引を当方の予測できない事情により中止することが許されていい道理がありません。

入札するというのは法的な責任を伴います。どのようなご事情であれ契約が成立したら損をしてでも契約を履行させなければならないのです。その点に同意されたからこそ島田様は当該商品をご落札できたのです。いやしくも法曹を志した人なら、そのくらいの見識は持っていてほしいものです。当方としてもこのような文章を綴るのは本意ではありませんし、嫌な気分になります。

今回のことを教訓として生かせばいいのではないでしょうか。高い授業料となりますが、とおすべき筋はとおしていただきたいと存じます。それに憲法の教材を手許においておけば将来、役に立つかもしれません。この間まで高校生であった大学1年生の女の子に対して厳しいことを言うようですが、ご諒解していただければ、と思います。納得できなければ再度、メール文を送信してください。》

以上の僕の返答に対して、くだんの女子大生は商品は送付しなくてもいい、したがつて、送料は、かからない筈だ、さらに、いはゆる授業料をもう少し勉強できないかといふ趣旨の強気の返答をしてきました。僕は、これだけ云つても我儘な抗弁を辞さない法曹志望の女の子の常識のなさと図々しさに驚き呆れました。そこで、これ以上、何を云つても無駄だと諦めて次のやうに返答しました。

《メール文、拝見いたしました。至極残念な気持ちでいっぱいです。島田様にもご事情があるとは存じますが当方の側にも事情があるのです。落札されたお品物にお支払いいただくお金をあてにしているのです。その点に少しでも配慮し、思いを致してほしかったです。

今回のお取り引きですが「無し」で結構です。お金は一円も支払わなくて結構です。ただ、落札者様都合による落札者様(今回の場合は島田様)の削除になりますが、その点は、ご容赦ください。》

僕は、くだんの大学生に将来、法曹になることを志望してゐるにもかかはらず契約を誠実に履行しようといふ態度が微塵も見て取れないのを怪しみました。彼女は、いつたい、どういふつもりで法曹にならうと思つてゐるのでせうか。弱者救済のためでないことは、これはもう疑ふ余地はないでせう。何か邪まな動機から志望してゐるのに違ひないと僕は思ひ、実に残念な気持ちで、この落札者削除の作業を粛々と行ひました。非常に後味が悪い思ひを禁じ得ませんでした。僕は、かういふ人物に人と人との間に生じる紛争を解決することを仕事とする法律家に決して、なつてほしくありません。


卑怯者に告ぐ

僕が当ブログでエッセイを書いてきて随分、久しいですが文章を草す際に時々、思ひ出す文章があります。それは作家、平野啓一郎の『文明の憂鬱』(新潮文庫)に収録されてゐる「無常ということ」といふエッセイの冒頭です(この題名は明らかに評論家、小林秀雄のそれを意識してゐますね)。

このエッセイの冒頭をぼんやりと時々、思ひ出します。そして、そこに書かれてゐる批判を恐れるのであります。少し長くなりますが同書の「無常ということ」の冒頭部分を引用いたしませう。

《少し前のことになるが、私は或る評論家がインターネットのウェブサイト上に、八坂神社の前にコンヴィニエンス・ストアが出来たことは怪しからんと憤慨しながら書いているのを読んで、乱暴な口調の割には何事に於いても浅薄で一向に核心に触れないのが常にこの人らしい話だと苦笑したことがある。それならば、そもそも祇園の交差点をあれほどの量の自動車が往来していることはどうなるのだろう?外国産の高級車も走っていれば、市バスも轟音を鳴り響かせている。そうした風景には一向に目がゆかず、殊更にコンヴィニエンス・ストアなどに着目してみせるところが、私には何とも安易な語り口のように思われたのである。》

書き手が文章を草すときは常に読者を意識してゐるといふことは、すでに何度も繰り返し書いてゐることですが安易な語り口にならないやうにどんな時も反論を想定して自分の文章に自分でツッコミを入れる作業をしてゐることはご存知でしたでせうか。これをいはゆる推敲と云ふのですね。それなりに見識のある書き手にとつては嫌がらせのコメントなぞ痛くも痒くもありません。むしろ、それをネタにひとつの記事を書きあげるくらゐの余裕と、したたかさを持つてゐるものです。

怖いのは上記に引用した文章で批判されてゐる或る評論家のやうに勝手な感想や適当な思ひ付きを綴つて、その脇が甘い文章を正当なロジックで理詰めで論難されることです。平野啓一郎のやうにそれができない卑怯者だからこそ匿名の嫌がらせのコメントをして溜飲を下げてゐるのでせう。困つたものです。理詰めで論難するといふのは高度な知性が必要とされるものです。それができないのなら嫌がらせなぞに走るのはやめて、せめて口を噤(つぐ)んでゐたまへ。黙つてゐれば愚か者でも利口に見えるものです。


僕の嫌ひなブログ

僕は自慢してゐるやうなブログが大嫌ひです。とりわけ、暮らし向きのよさを誇つたり稼ぎのよさをアピールしたりするブログを憎みます。要するに金、持つてゐるぞといふブログですね。さういふブログに限つて文章が写真と共に申し訳程度に載せられてゐるだけで内容が著しく浅薄なのです。そこには自分なりに考へた思索の跡を見る事ができません。

僕はさういふブログには全く興味が持てません。否、苦々しい気持ちにさへなります。そもそも物を書く意義とは何でせう。書き手が読者と意見を共有してアウフヘーベン(止揚)することではないでせうか。これは、いにしへの哲人たるソクラテスの相手との対話をとほして真理を求める態度と同じです。古代ギリシアから連綿として続いてゐる思索する人間の営みであります。

一方的に暮らし向きのよさを自慢をされても、それを読む者は閉口するだけです。人によつては僕のやうに強い反感を抱く場合だつてあるかも知れません。ゆゑに双方向の意見の交換ができかねます。そこに読者の関心はないと知るべきです。ブロガーによつては読者に対して、ひけらかしたり甚だしきに至つては優越感さへ示すやうな文章を草して悦に入つてゐる者もゐます。少しは同情の余地もあるかも知れません。といふのも、優越感は劣等感と表裏一体だからです。

まあ、しかし、さういふブログに対して、いちいち目くじらを立てる必要はないかも知れませんね。早晩、くだんのブログには読者が寄り付かなくなると思ふからです。僕は貧乏なので、まさか当ブログに暮らし向きの自慢はないでせう。しかし、それ以外で自慢話のやうな記事があつたら遠慮なく指摘して下さつて結構です。指摘されたところは納得できれば即、改善したいと思ひます。そのためにも読者と当ブログ管理人は日頃から意見を交換する必要があると考へるのですが、いかがでせうか。


就職と自己実現

「就職するか否かは重要ではない、大切なのはなりたい自分に近づくことです。じっくり考えてほしい」とあるブログに記されてゐましたが本当にさうでせうか。

世間には生計を立てるために意に染まぬ仕事に従事することを余儀なくされてゐる人たちが無数にいます。このブロガーはそんなことも知らないのでせうか。

まづ、僕たちは生きてゆかなくてはならない。生活するためには僕のやうに真夏の炎天下でも汗水を垂らしながら辛い外での仕事をやらなくてはならない時もあるのです。生活ができてはじめて、なりたい自分になれるか否かといふ境地を目指すことができるのです。こんなことは常識ではありませんか。

そもそも、なにゆゑ、この人は就職問題といはゆる自己実現を別々に切り離して考へるのだらうか。なりたい自分に近づける就職をすれば、それが一番いいではありませんか。

違ふ、後輩が目指す職業に就けなかつたから冒頭にあるやうなアドヴァイスをしたのだ、と怒られさうですが反論になつてゐません。一度や二度の失敗で簡単に諦めるな、と叱咤激励するのが人生の先輩としての務めでせう。

齢若い後輩になぜ、こんなまことしやかな出鱈目をアドヴァイスするのでせうか。このブロガーこそじつくり考へてほしひと思ひます。こんな非常識かつ無責任なアドヴァイスをなぜ躊躇ふこともなく云へるのか理解に苦しみます。


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プロフィール

ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在に至る。
現在、未曾有の大不況下で苦しい転職活動を余儀なくされている。
経済状況は極度の貧乏。某市内の賃貸マンションを棲家としている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプが大嫌い。
趣味はブログ執筆、読書、六弦ベース、オートバイ等々。ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の酷いデフレを憂いつつも某市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実は牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。

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