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ヨシ樹

Author:ヨシ樹
昭和に生まれ、平成を生きる日本男児。
東京の大学を卒業して故郷の愛知県に戻る。
肉体労働や家庭教師、塾講師を経て現在、名古屋市で暮らす。
家庭教師は週末に副業として続けている。
いわゆる「勝ち組」「負け組」という二元論的なステレオタイプを嫌う。
趣味はブログ執筆、読書、音楽鑑賞、六弦ベース演奏、バイク・ツーリング等々。
ちなみに大型自動二輪免許保有。かつてハーレーを所有。
夢はオートバイでの海外ツーリング。具体的にはユーラシア大陸をBMWで走破することなどを考えている。
日本経済の非道いデフレを憂いつつも名古屋市のリサイクル・ショップや古本屋によく出没する。
実はプロテスタント教会の牧師の息子であり、幼い頃から聖書と教会に親しむ。
読者からのコメントが大好物。

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ヨシ樹の雑記帖

日々の出来事を中心に自分の思いを簡潔かつ正直に綴ります。兄弟ブログ“「論」ブログヨシ樹”もよろしく!
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何のために齢を重ねたのか

いつの頃からか、わたしの髪にも白いものが混じるようになりました。年を取りました。若いときには必要なかった白髪染めなぞ煩わしい限りです。しかしながら、フォーマルな会合に臨むときは胡麻塩頭(ごましおあたま)というのでは相当にみっともないかな、という心配から自由ではない、というしだいで鏡を見て苦笑するのみであります。

そういう塩梅(あんばい)で、そのうちに周囲の友人知人からいつまでもお若いですね、というふうな言葉をかけられないとも限らない。もう、そういう年齢になりました。人生の折り返し地点を過ぎて久しいです。最近、巷間には、いわゆるアンチエイジングという思想的潮流がありますね。以前から気になっていたので今回は思想と年齢の関係をテーマにして記事を書いてゆきたいと思います。

「いつまでも若々しいですね」という言葉は今や年輩者の歓心を買う最も有効なお世辞のひとつになっています。年輩の綺麗な女性を指して「美魔女」などという新しい言葉も生まれています。けれども、翻って考えると、こんなに馬鹿馬鹿しいことはない。それでは齢(とし)をとった甲斐がないではありませんか。年齢にふさわしい信仰、思想、哲学等が、そのひとの内になければ何のために齢(とし)を重ねたのか、ということになるのではありますまいか。思うに今までどういう生き方をしてきたのか、という後悔をすることにもなりかねません。

アンチエイジングという現代の思想的潮流の背後には合理主義の思想があると思います。二に二を足せば子供にとっても四ですし、大人にとっても四です。答えに変わりはありません。大人や子供を問わず誰にも納得のゆく答えが出ます。そう、合理主義思想に年齢は関係ないのであります。もっと申しますと合理主義思想は年齢というものを軽蔑するのです。合理主義思想は先輩、後輩の区別など何とも思っていないのであります。

しかしながら、思想というものは、もともと年齢と関係があります。年をとらなければ判らないということが人生には無数に存在します。それは吾人のこれまでの経験に照らしても納得できます。たとえば『論語』には「四十にして惑わず」と記されています。二十代や三十代では、まだまだ惑わずとは言えないのであります。左様なことは常識で考えても十分に理解することができますね。

風貌(ふうぼう)だってそうです。四十代の顔とか姿というものに何とも言えない深い人生の実相が刻まれているのであるならば吾人はそれを忌避(きひ)すべきではなく、むしろ歓迎すべきではないでしょうか。「いつまでもお若いですね」などと言われて、へらへらと、やにさがっていてはいけないのであります。お世辞を言っている相手は「お若いですね」と言いつつ心のなかで「精神年齢的にはね」と但し書きを付けて、こっそり舌を出していないとも限りません。

吾人は赤ん坊として出生して老人になり遂には死を迎えます。吾人は中年なら中年らしい、青年には持つことができないような立派な人生観を持ったうえで一日一日を過ごすべきであります。思うに、なんでもそうですが日々是精進であります。そういう真剣な気持ちで生きてゆきたい、とわたしは常々考えています。ところが、現代に生きる人々の偽りの陽気さ、意味のない明るさ、思慮分別を欠いた騒々しさは一体どうしたことでしょう。「汝等しずまりて我の神たるをしれ」(聖書)!

ところで人生の先輩たちが営々と貯めてきた財産を狙った「俺おれ詐欺」という犯罪がありますね。被害に遭われた年輩の方々には全く同情しますが、このネーミング、なんだかユーモラスです。それゆえに閃(ひらめ)くものがありました。思うに吾人は生き方において、いわゆる「俺おれ主義」になる危険と常に隣り合わせなのではないか、と。つまり吾人は、ともすると利己的で自己を中心とした生き方に傾きがちになるのではあるまいか、と考えたわけです。

これは、もちろん老若男女を問いません。昨今では権利意識が高まり、自分の権利ばかり声高に主張している輩(やから)が確実に増えてきています。例えば、横断歩道を渡るときにクルマが待っているのに一瞥(いちべつ)も与えずに、ゆうゆうと歩いて横断している歩行者をよく見かけます。美しくないですね。小走りに横断している年少の子供たちの方に覚えず好感を抱くのはひとりわたしだけではないのではありますまいか。わたしは、そういう人たちの生き方を「俺おれ主義」と名付けたいと思います。

わたしもいい齢になりました。巷(ちまた)で流行している浅薄なアンチエイジングという時代の潮流を唯々諾々と追認するのではなく、自分の年齢にふさわしく言動をシフトしてゆくことは改めて申すまでもなく肝要なことだと思います。四十なら四十という年齢に丁度ぴったりな立派な思想を自分の内にぜひ宿らせたいものですね。自分自身のこれからの生き方が「俺おれ主義」的な人々とは対照的で、そういう世俗的な生き方を決してやめようとしない人々に対する強烈なアンチテーゼになっているといいなあ、とも考えています。

わたしがアンチエイジングという当世風の思想を歓迎できないいちばん肝腎なところを申しますと、それは、すなわち、死というものを真面目に考えようとしない不健全な姿勢にあります。老若を問わず、男女を問わず、貧富の別なく、能力の差にかかわらず、吾人は必ず死に至ります。なぜ死を避けるのでしょうか。なぜ死とガチンコで取り組もうとしないのでしょうか。それは著しく不自然なことではありますまいか。そして、不健全といわれても反論できないのではないでしょうか。

我々はいつまでも生きていられるわけではありません。よく生きて七十、八十でしょう。百年も生きれば、いわゆる大往生(だいおうじょう)であります。吾人の生涯は、もう間もなく終わります。宇宙の営みからすれば我々の人生なぞ瞬く間の出来事にすぎません。ほんの一瞬です。吾人の寿命など、その本質において蜻蛉(かげろう)の寿命と選ぶところはありません。

我々の人生は明日、終わるかも知れない儚(はかな)いものであります。栄華を極めた豊臣秀吉も「難波のことも夢のまた夢」と言って死んでゆきました。自らの権勢に未練たらたらで世を去ったのです。したがって、歴史を知っている我々は死について十分に考えて備えておくということが、どうしても必要になります。

日本史に名を遺し、太閤とさえ言われた秀吉でさえしてやられています。秀吉のように現世に対して未練がましい態度で臨終を迎えないように吾人は死についてしっかり考え抜くことが大事であります。読者諸賢もこの記事をきっかけに自分の死についてゆっくりと考える時間をつくってください。わたしの記事により読者諸賢が自分の死と真剣に向き合うことになれば、とても嬉しいです。

死について考えるコツは死の彼方(かなた)を見晴るかすことにあります。言い換えますと死後について思いを致す、ということです。最後になりますが借り物の思想ではなく自分なりの死生観を早いうちから確立しておくことの重要さを自戒の念を込めて記したうえで擱筆(かくひつ)します。

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謹賀新年

読者諸賢へ


新年あけましておめでとうございます。

旧年中はご愛読、誠にありがとうございました。
本年もご愛読の程よろしくお願いいたします。コメントを頂戴できれば、なお幸いです。

現在、所有しているパソコンに不具合が出て文章をプリントアウトできない状態が続いています。
いつもワードで書いた文章をプリンターから出力してプリントを見て誤字脱字などを確認しています。

今のところ、それができないので記事の更新に支障が生じています。
本記事はブログの入力欄に直接、入力しています。直接の入力はなかなかしんどい作業ですね。

ところで、新しい年がはじまるにあたって思い切って当ブログのテンプレートをかえてみました。
いかがでしょうか。読者諸賢に気に入っていただければ幸いです。

読者諸賢にとって、2018年が素晴らしい一年になりますように。
これで簡単ではありますが新年の挨拶に代えさせていただきます。


管理人 ヨシ樹

お知らせです!

こんばんは。暑い昨今、水風呂ばかり入つてゐるヨシ樹です。
読者の皆さまにをかれましては、お盆休みをいかが過ごされてゐるでせうか。

先程、本ブログの兄ブログである“「論」ブログヨシ樹”の記事を更新いたしました、
是非お読みください。記事の文字数が、それなりに多かつたので前編、後編にわけて記しました。

お盆休みのお読み物として是非ご活用ください。
スマホやタブレットでも読むことができるはずです。

さういふわたしはケータイはまだガラケーを使つてゐますけれど…。
しかし、そのガラケーも約四年半使つて高い、もとい他界しました。

新しいガラケーと交換といふことになりました。
わたしとしては修理して、もつともつと使ひたかつたのですが無理でした。

現在、交換してくれるといふガラケーの到着を待つてゐるところです。修理ができず交換するならガラケーではなくスマホにシフトする絶好の機会ではないのか、さう思はれる方もいるかも知れませんね。けれども、スマホは維持費が高いので所有したくないのであります。なくて困ることも今のところないですし…。

現在ブログのネタとして「玄米食」と「ケータイ端末」についての構想を温めてゐます。「名古屋二周年」の後編も書きたいですね。以上三つのネタをランダムにゆつくりとアップしてゆくつもりであります。乞ふご期待!

名古屋二周年 前編

今月末で名古屋に引つ越して、ちやうど二年になります。地元から離れて、ひとりで暮らして二年が経過しつつあります。わたしは名古屋が嫌いではありません。この二年を振り返ると様々なことがありました。最初から順調だつたわけではありません。二年前に名古屋の学習塾に招聘(しやうへい)されて働いてゐて、しばらくして事情により辞めざるを得なくなりました。右も左も分からず、かててくはへて大変困窮してゐたときに親切な言葉をかけるわけでもなく就職のために祈つてさへくれなかつたその当時通つてゐた某教会の牧師をわたしは忘れることがないでせう。

そんなふうに今に至るまでに嫌なことは色々ありましたが現在はお蔭様で屈託なく名古屋を好きです、と云へるやうになりました。なぜ好きかなのかについては読者諸賢は回答を急ぐことなく、しばらく、わたしの文章に付きあつていただけませんか。文章を読み進めてゆくうちに名古屋の良さが納得でき、わたしが名古屋を好きな理由を判つていただけるものと思ひます。今回は前編、後編にわけて記しますので全部を読んでいただくと理解できるやうに努めて記してゆきたい、と考へてゐます。

その昔あのタモリが名古屋を「大いなる田舎」と揶揄(やゆ)したことがあるのは有名ですが、悪い意味でなく良い意味でなら、あながち間違つてゐません。わたしが思ふに名古屋は都会のいいところと田舎のいいところを両方併せ持つてゐます。とりわけ、わたしの住んでゐる某所はさういへると思ひます。バイクで五分も走れば自然が豊かで、これから開発されるであらう土地を見渡すことができます。さういふいい意味で名古屋は「大いなる田舎」だとするなら、むしろ「大いなる田舎」といふ呼称も積極的に認めたい、とわたしは考へます。

わたしの住んでゐる賃貸マンションは地下鉄の駅へすぐに行けるので絶妙のロケーションと云へます。駅に近いといふことは、こんなにも便利なものか、といふことをしみじみ実感してゐます。どう便利なのかについては別の機会に譲りますが、わたしは今の住まいをとても気に入つてゐます。わたしの住まいは、すでに述べましたやうに、いはゆる賃貸マンションの一室です。

マンションの間取りは1DKで面積は31.32平方メートルです。五階建ての四階の南向きの角部屋で暮らしてゐます。天気がいい日の朝、カーテンを開けると部屋中に陽の光が燦々(さんさん)と降り注ぎます。上の部屋も下の部屋もお隣の部屋も空室なので変に気を遣う必要がなく誰に遠慮することもありません。とても楽ちんです。なんなら夜遅い時刻にステレオで音楽を聴いても住人からクレームが来ることはありません。なぜなら既述のやうにわたしの部屋の周りには住人がゐないからです。

これで家賃があと一万円くらゐ安ければ云ふことはないのですが…。我がマンションの賃料は月額で36000円です。そのうへで月毎に共益費が4000円かかります。したがつて、毎月の家賃は込み込みで、ちやうど40000円です。契約期間は一応、二年間です。本年2月28日までであります。ありがたいことに更新料はかからずに自動更新です。今月末が過ぎると自動的に更新されるわけですね。

上記記事名にあるやうに今回の記事は前編、後編にわけて記してゆきたいと考へました。本ブログでは珍しい試みです。前編はここまでとします。後編については、また改めて本ブログに記してゆく予定です。乞ふご期待!

わたしの大好きな季節

蝉が鳴く声が、わたしの大好きな季節が始まる合図のやうなものであります。わたしが大好きな季節、それは夏であります。青い空に白い入道雲を見上げるだけでなんだか清々しい気持ちになりませんか。

暑いのは全然、苦になりません。昨今はエアコンが至るところに普及してゐて暑い外から簡単に避難できるではありませんか。

もつと積極的な言ひ方をしませう。涼しさを明瞭に実感することができるのは夏ならではです。他の季節では実感できません。

夏になると、暑い暑いと不満を口にする人たちがゐます。けれども、夏が暑いのは当り前です。さうであるならば、涼の取り方を工夫すればいいのであります。

わたしは、一例として水風呂に入る、といふ方法を挙げます。しかし、わたしのこれまでの経験によれば、夏であつても水風呂を話題として持ち出すと、男女を問はず、おほむね嫌がられます。

さういふ時、わたしは心のなかで「水風呂は日本に古来からある優れた伝統的な涼の取り方なのになあ」と嘆息して浮かぬ顔になるのであります。

わたしは今日も水風呂に入りながらキリスト教の信仰書を読みました。風呂に入りながら本を読むといふのを聞くとわたしを変人と思ふ方もゐるかもしれませんね。けれども、この妙な読書法は実は理に適つてゐると思ひます。浮力が働くので読書が楽なのであります。

実は水風呂では浮力により快適に読書できるのでページを繰るのが進むのであります。本当ですよ。水風呂での愉しい読書も、わたしが夏が大好きな理由のうちのひとつです。最近、夏に鳴く蝉の声になんだか元気がないのが気になつてゐます。


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